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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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寝屋川遡りLSD1

泊り勤務明けの本日は、職場から自宅まで遠回りのコースで約28キロを、4時間ほどかけてゆっくりペースで走る「LSD」をしました。
ランニングをしている人には、おなじみですが、LSDはロング・スロー・ディスタンスの頭文字で、長い時間をかけてゆっくりと長距離を走る練習。幻覚が見えるようになるという化学物質のことではありません。

今の私は少々頑張っても、かつての自分にとってのLSDほどのスピードしか出ないのですが、本日は時間がとれる泊り明けで距離を踏みたいと思ったものの、3日後に今月2度目のハーフマラソンを走る予定であることから、あまり疲労を残さないようにしたかったため、意識してペースを落とすLSDを久々に試みました。
また、主に走ったことのない場所を結ぶコースを設定したことから、のんびり景色を見て写真も撮りながら走ろうとも思いました。

その帰宅コースというのは、大阪府の北東部を流れる寝屋川に沿って下流から上流へと端から端までを結んで走ろうというもの。
大坂城の近くで旧淀川の大川に合流する終点から、川の名前がついている寝屋川市の寝屋集落の近くにある起点まで21キロ余りをたどり、その前後などを合わせると約28キロになります。
寝屋川市といえば私が中学時代から大学時代にかけて住んでいた場所で、大阪に戻った3年前から昨年までも再び2年近くいましたが、寝屋川という川の印象は薄く、川に沿った地域を見ることもほとんどありませんでした。

おおざっぱな知識として分かっていたのは、寝屋川沿いの地域が以前は洪水被害の常襲地帯で、町工場や小規模な住宅が密集する、いわば大阪府の下町であること。そして歴史を遡れば、かつては湖沼地帯であり、入江の海だったということなどです。
そんな目を引くものもなさそうな地域に、若かったころに足を向ける理由がなかったのは当然ですが、物事に対するこだわりが薄れてきた半面、機会さえあれば色んなものを見てみようという意欲がむしろ大きくなった50代半ばの自分にとっては、この寝屋川沿いの空白地帯は、ちょっとした冒険の対象、フロンティアのようにも思えていたのです。

と、前置きが長くなりましたが、本日の寝屋川を遡るLSDで撮った写真は28枚を3回に分けて掲載します。
まず1回目の本日は、寝屋川のほぼ終点となる京阪電鉄・天満橋駅近くから、コースの8キロ地点に近いJR片町線の鴻池新田駅近くまでに撮った9枚をアップします。

BL160121寝屋川LSD1IMG_0175     BL160121寝屋川LSD2IMG_0178     BL160121寝屋川LSD3IMG_0187

最初の写真は、大阪マラソンでも通る土佐堀通が、大川に流れ込む直前の寝屋川を渡る寝屋川橋。そばを通る京阪本線の橋は特急電車が通過するところでした。

2枚目は、その直後に土佐堀通に平行した川沿いの遊歩道から大阪の副都心、大阪ビジネスパークの高層ビル群を眺めたところ。ビジネスパークは、寝屋川と下流で合流する第二寝屋川に挟まれた岬状の地域の再開発によって誕生しています。

3枚目は、寝屋川の右岸(北側)に沿った道がJR大阪環状線をくぐり、さらにJR片町線をくぐるあたりで撮った護岸壁のペインティング。
元が湖沼地帯で、その後に田畑となり、さらに住宅などへと開発が進んだ寝屋川流域は、大幅な地盤沈下に見舞われた洪水の常襲地帯だったため、川の両岸は中流まで2~4メートルのコンクリートの護岸壁が延々と続いています。そのため、川沿いを走るといっても川の流れを見ることはほとんどなく、その代わりに護岸壁を眺め続けるわけですが、このあたりでは、この壁を利用して子どもたちによるペインティングの作品が描かれています。

BL160121寝屋川LSD4IMG_0197  BL160121寝屋川LSD5IMG_0199  BL160121寝屋川LSD6IMG_0192

次の3枚のうち1枚目は、寝屋川から直角に枝分かれする運河の城北川を眺めたところで、川の分岐部分に設置された水門の骨組みとワイヤを写し込んでいます。

続く2枚目は大阪の内環状線(国道479号線)が川を渡る寝屋川大橋。大橋と名づけられてはいますが、道路は広いものの川幅は50メートルもありませんので、その規模は決して大きくありません。

そして3枚目は水門から寝屋川大橋に向かうところに架かる新喜多(しぎた)橋。
そばにあった案内板によりますと、大正から昭和初期にかけて、この今福地区と大阪都心を結んで通学や通勤の客を運んでいた「巡航船」の船着き場があったあたり。明治後期に相次いで開通した京阪本線や片町線が、いずれもこの地区を通らなかったため、巡航船は、その後にバスが走るまで市民にとって重要な足だったということです。

BL160121寝屋川LSD7IMG_0209     BL160121寝屋川LSD8IMG_0206     BL160121寝屋川LSD9IMG_0210

次の3枚はいずれも、JR片町線の線路が川に近づく徳庵駅、鴻池新田駅の近くで撮ったもの。
橋の上から通過する電車を絡めて寝屋川を撮った1枚目を見ると分かる通り、中小の工場地帯を流れる寝屋川は、どす黒い水がよどんだ、いわばドブ川で、悪臭こそ発していないものの生き物の気配を感じることができず、眺めて美しいものではありません。高い護岸壁に挟まれていることは、近くに住む人たちにとってはむしろ幸いなぐらいですが、水都・大阪を代表する川の姿が、いつまでもこんなふうでいるのは、少し寂しい気もします。

3枚目は、川沿いの道が近畿自動車道・中央環状線を横切ることができないことから、いったん川を渡り南に200メートルほどの片町線沿いの信号を横断した際に撮った片町線の高架橋。
見事に赤く錆びた鉄骨に目を引かれましたが、放置されたままに見える高架橋1つをとっても、街の美観の向上につながるインフラの整備が、寝屋川沿いの下町では遅れている様子であることを思わせます。

そんななか、川沿いの住宅の前に咲いていたスイセンは、春の兆しを感じさせるとともに目を休ませてくれました。

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