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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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土筆、クレソンも!

本日は明るい時間に終えることができる勤務となって、職場から自宅までの一部を走る帰宅ランをする途中、淀川の堤防で出始めた土筆(つくし)を採ったほか、なんと大阪市内でクレソンを「収穫」しました。

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淀川の土筆は、昨年は採ることがないままに終わりましたが、本日は一昨年にロードバイクに乗って帰宅する際に土筆摘みを楽しんだ鳥飼大橋の近くで探してみました。
一昨年より1週間ほど早かったためか、堤防の草むらで顔を出している土筆はまだ少な目でしたが、その分、頭の部分が開き胞子が飛んで乾いてしまった土筆はあまりなく、ちょうど美味しそうなものを収穫することができました。

ただ、草むらの中に伸びた背丈の小さな土筆を探すのには、それなりの時間がかかり、冬に逆戻りしたような寒風の中で走る格好のまま歩き回ったために、体がすっかり冷えてしまいました。
とはいえ、煮びたしにした土筆は独特の苦みが口に広がって、まさに春の訪れを感じさせる美味しさでした。

また、淀川に向かうのに先立って立ち寄った大阪城のかいわいで、先日、山口県で大量に収穫してきたクレソンが自生している場所を訪れ、その近くに生えていたセリとともに少しばかりを採ってきました。
水辺の野草であるクレソンやセリが立派な群落をなしていた、この場所の流れは、実は人工的なもので、いわば半ば自然に水耕栽培が行われているという具合です。

というわけで、それなりにきれいな水の中で育ったクレソンでしたが、山口の山から流れる自然の清流に育ったクレソンと比べると、やはり少し歯ごたえが良すぎるようで、お浸しにしてみると味も濃縮されたようでクレソンらしいといえばクレソンらしいのですが、みずみずしさには欠けているように感じました。

※※※

そんなふうに都会で春の野の恵みを収穫して楽しむことができた本日は、東日本大震災の発生から丸5年です。18000人以上が亡くなり、行方不明となった大災害から節目の日を迎えてメディアが報じる被災地の様子を見ると、津波の被害を受けた各地の復興は遅々としてはいるものの少しずつ前に進んでいるのが分かります。

ただ、その一方で数万人もの人たちを、いつ終えるともしれない避難生活に追いやった原発事故の後処理は難航を極めている様子。そして放射能に汚染されてしまった広大な土地は、いまだに住民が戻ってきて生活を再開することさえ許さず、人が住み続けている福島県内の他の地域でも、空気中の放射線のレベルは高いままの状態。
土地の除染などによって線量が減ったり検出レベル以下になったりした農作物の出荷は本格的に再開されてはいても、野草・山菜やキノコを野山で収穫して食べることができない地域もまだまだ広がったままのようです。

豊かな自然こそが何よりの財産で、それを土台にしてこそ、あたりまえのようにしてあった生活の喜びが奪われてしまった福島の人たちの厳しい状況は、原発による電力の恩恵を受けてきた私たちすべてにとって、やはり他人事ではありません。
屋外で何の心配することもなく大きく息をしたり走り回ったりすること、山から流れる水の美味しさをかみしめたり野山で育った自然の恵みを味わったりすること。そんな誰にでも与えられていた幸せが奪われたことの代償は、どれだけの金額を積んだとしても支払うことなどはできません。

大震災による悲劇と引き換えに深まった人の「絆」や、未来へとつながる復興のつち音に光を当てることは、それはそれでとても大事なことではありますが、人の命とともに失われ、半永久的にけがされてしまった自然や、その恩恵を受けられなくなった人たちのつらさからも目をそらすべきではないように思います。
そして、そうした計り知れない損失をもたらした人の営みに対する反省こそが、5年たっても10年たっても決して忘れてはならないことではないでしょうか。

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