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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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群山でサブフォー!!!!

本日は、韓国・全羅北道のクンサン(群山)市で開かれた「クンサン・セマングム国際マラソン」に参加して、目標としていたフィニッシュタイム4時間をわずかながらクリアする3時間57分台で完走。2年ぶりに「サブフォー」に復帰することができました!!!!
昨シーズンは体調不良のためフルマラソンを真面目に走ることができないままだったため、サブフォーは2年余りぶりです。

今シーズンは11月のマラソンで4時間37分と、真面目に走るレースでのワースト記録を更新し、その後は年初から走り込みを始めましたが、2月のマラソンでも4時間18分までしか戻すことができませんでした。
3度目の正直を狙うため、わざわざ韓国まで来てレースに臨んだ今回は、まさに背水の陣でしたが、ひどくなってきたカゼも体の動きに影響するまでは広がっておらず、なんとか最後まで気を抜かずに走り続けることができました。

久々のサブフォーとはいえ、30代後半に記録した自己ベストの2時間57分台に比べると1時間も遅いわけで、こんなことのために必死になっていた自分は、おかしくもあります。ただ、少しばかり練習しても、なかなか速く走れるようにならないばかりか疲労もとれにくくなり、加齢による衰えを実感していただけに、こうして一定の結果を得られたことは素直にうれしく、ホッとするとともに、長らく忘れていた達成感も味わっています。

幼い子ども2人を抱えるなかで休みの日に走りに出ることは極力控え、3日に1日程度のペースで20キロ前後の通勤ランをするという方法でかせいだ練習の距離は1月が250キロ、2月が200キロ、3月が230キロでした。
走り込みといえば月に300キロを超え、400キロ以上を走ることもあった以前に比べると、この練習量はフルを走りきるには、まさにギリギリで、4時間をわずかに切れたという本日のパフォーマンスは順当なところ。ただ、そのごく控えめながら順当な結果を手にすることができたことだけで、ようやく長く暗いトンネルを抜け出せたような気がしています。
(写真の説明などは、追って続けます。)

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紹介した写真のうち、ゴール後のツーショットで一緒に写ってくれたのは、クンサンマラソンの事務局長のムン・ジョングさん。
ジョングさんは今回、単独で飛び入り参加をさせてもらった私のめんどうを一切みてくださり、クンサンのバスターミナルから宿泊先のホテルへの移動や、マラソンの後にコチャンの仲間らをたずねるための移動をご自身の車でしてくれたほか、レースでも30キロ過ぎまで並走してくれました。

元陸上選手で私より4歳上であるものの、今もフルを3時間半ほどで走られるジョングさんは、私よりも走力も上のはずですが、「4時間を目標に走ります」と伝えた私に対し、「じゃあ一緒に走りましょう」と言って、いわばペースメーカー役を買って出てくれたのです。
マラソンは自分のペースで走りたい私は初め、これを「うっとうしいなあ」と思っていましたが、走り始めて気が付くと、彼は私のすぐそばにいました。
数多くではないものの走りながら時々いったん立ち止まって写真を撮る私は、そのたびに少し遅れるため、ダッシュしてジョングさんについていこうとしましたが、彼の方もスピードを緩めて待っていてくれます。

フルマラソンをイーブンペースで走れない私はいつも、そのときの走力からすると前半を飛ばし気味に入るため、今回もほぼ5分ペースで走り始めてハーフは1時間46分台、その後はペースが落ちたものの30キロは2時間37分台で通過しました。
その前半は、ジョングさんにとってもそれなりに良いペースだったことに加えて、私が度々立ち止まってジョングさんのペースを崩してしまったためか、彼は30キロ過ぎに「突然、体の力が抜けてしまった」ということで、なんとその後は私が彼を置き去りにして1人旅をすることになりました。

去年の金沢マラソンでは3時間40分でゴールしていたというジョングさんですが、今回は終盤に歩きを交えて4時間5分ほどもかかってしまったということです。
私としては、写真を撮るために立ち止まっても、ジョングさんに追いつこうと、そのたびにダッシュしたことなどから、それなりのペースを保つことができ、結果的には彼のおかげで4時間を切れたようなもので、ありがたさと申し訳なさが混ざったような気持ちでいます。でも一方で、沿道の知り合いに会うたび片手を挙げながら、さっそうとしたフォームで走るジョングさんに着いていけたことで、自分自身もランナーに戻ったような気がしています。

スタート前にスリーショットに収まってくれたのは、昨日の記事でも紹介した香川県の一行のうち、サンポート高松トライアスロン大会の実行委員で、一緒にフルを走った英司さんとみどりさん。
2年前に高松トライアスロンに出ていた私は、着心地の良いグリーンの記念Tシャツを持ってきていて、そのTシャツで今回走られたお2人に合わせ、写真の際だけ同じTシャツを着ることにしました。
ちなみに、私がレースの際に着たのは、去年の東京夢舞いマラソンのTシャツでした。

30キロ過ぎの1人旅では、両脚が交互につりそうになりながら気力で脚を動かし続けた私は、ゴール後にはなんとか歩くことができましたが、高松の一行とともに使わせてもらっていたテントの下まで来てパイプ椅子に腰を下ろしたとたん、両脚の筋肉が表も裏も一気につって、まったく動けなくなってしまいました。
その際に駆けつけてくれ、アイシングやマッサージをしてくれたのは、ボランティアの若者たち。最初、カチンコチンに固まって盛り上がってしまった筋肉は押しても引いてもビクともせず、私自身も笑ってしまうほかありませんでしたが、彼らの献身的な努力によって10分か20分後には、ほぼ元通りに回復しました。
(といいましても、この記事を事後的に書いている帰国後の私は、今回のマラソンで初めてヒザを痛めたことが分かり、今後いつになればトレーニングを再開できるかまだ見当がつかない状態です。)

ムン・ジョングさんはレース後、事務局長としての仕事もいろいろとあったはずですが、私をご自身が所属される地元クラブのテントに誘って食事をさせてくれた後、同じ全羅北道のコチャンまで、干拓事業のためにつくられた長さ33キロのセマングム防潮堤を通って車で送り届けてくれました。

東京夢舞いマラソンとの間で6年の間交流を続けているコチャン・コインドルマラソンの仲間たちとは既に家族のような付き合いであるため、2泊3日の短い旅とはいえ、ほど近いクンサンまで来ていながら素通りして行くわけにはいかなかったのですが、そのためにジョングさんに迷惑をかけてしまったことは申し訳なく感じています。

今回のクンサン行きは、そもそも一昨年、ジョングさんと旧知の仲だったコチャンのクラブの元会長、ファン・ドミョン(黄度明)スニム(お坊さん)から、コチャン在住の日本人、えみ子さんを通じて、クンサンマラソンが日本人の参加を望んでいる旨を伝え聞いたのがきっかけです。
そして先にも書いた通り、今シーズンのうちにもう1レースを走りたくなった私が、今度はえみ子さんやスニムを通じてジョングさんに参加したい旨を伝えたとうわけです。

そしてジョングさんの車に乗ってコチャンの郡庁に到着した私は、スニムやえみ子さん、それに夢舞いとの交流を担当してくれている郡職員のチェ・ソンネさんとの再会を果たしました。
ジョングさんは地元での用事があるため、この後すぐにクンサンに戻られ、私はスニムやソンネさん、それに同じく韓日交流担当でソンネさんのお兄さんのチェ・ジョンマンさんの家族と一緒に食事をすることになり、韓国2日目の夜は第2の故郷、コチャンで過ごすことになったというわけです。

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