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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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大津歴史の道ラン2

泊り勤務明けの本日は、ロードバイクに乗って帰宅する途中、大阪市東淀川区にあるトライアスロンショップで先日注文していた新しいウェットスーツを受け取りましたが、帰宅直後から雨もようとなって再び家を出るのがめんどうになり、スーツを着用してプールで試泳するのは、明日以降にお預けとなりました。

紹介する写真は引き続き、一昨日に滋賀・大津市の琵琶湖南岸かいわいを走った「大津歴史の道」マラニックの際に撮ったスナップ。全3回中の2回目となる本日分の9枚は、前回に続く近江神宮と、その後に訪ねた名所の三井寺、そして旧東海道などで撮ったものです。

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競技かるたの聖地である近江神宮ですが、一昨日は好天に恵まれたこともあって、私たちが訪ねた際には、赤ちゃんを連れた「お初参り」の家族が何組もいて、本殿の中でお祓いを受けたり、境内で記念写真を撮ったりしていました。
私も3年前、昨年と長男、長女のお初参りを立て続けに経験していることから、ついつい他人事でないような気になって、晴れやかな家族の皆さんの写真を遠巻きに撮らせてもらいましたが、当たり前のことながら、私の年齢は、赤ちゃんのお父さんよりも、お祖父さんの方に近いことに今更ながらに気づくことになり、私の人生が普通の人たちとは相当違ったペースで進んでいることを改めて実感しました。

三井寺は、天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山で、7世紀につくられた都・近江大津京ゆかりの古刹です。
大津京は、667年に天智天皇が、飛鳥から近江に都を遷して開きましたが、その4年後に天智天皇が永眠し、その息子である大友皇子(弘文天皇)と、弟の大海人皇子(天武天皇)が 皇位継承をめぐって争って、壬申の乱が勃発。勝利をおさめた大海人皇子が翌年、都を再び飛鳥に遷したことから、わずか5年で「廃都」になったということです。
一方、戦いに敗れた大友皇子の皇子の大友与多王が、父の霊を弔うために土地を寄進して創建したのが、この三井寺の始まりとされています。

それはともかく、私たちが三井寺を訪れた際、境内ではお祭りの縁日が開かれていて、数多く並ぶテントの出店の間をチンドン屋が練り歩いていたほか、生きた亀をお祓いして木の滑り台から池に放す「放生会」などが行われていました。

三井寺を後にした私たちは、琵琶湖岸に向かう途中、旧東海道を走りました。
旧東海道は、道の両側に町屋造りの古い建物が残るなど往時をしのばせるような雰囲気で、紹介した写真からは漏れていますが、明治時代の1891年に、訪日中だったロシア帝国のニコライ皇太子が、警備を担当していた巡査にサーベルで切り付けられて負傷した、いわゆる大津事件の現場付近を示す石碑も立っていました。

この事件では、当時、大国だったロシアによる報復が心配されて、明治天皇が直接見舞いに訪れるなど、当時の政府が対応に苦慮しましたが、今の最高裁判所に当たる大審院の院長は、外国の要人に対する殺人未遂の罪の量刑を規定した法律はないとして、天皇に対する大逆罪に準じて死刑が相当だとする政府側の声を退けて無期懲役を言い渡し、司法の独立を示したとされています。

政府の政策・方針に絡むようなデリケートな事件の裁判で、地方レベルの裁判所が独自の判断を示すケースがあるものの、最高裁では政府の姿勢に対立するような判決が滅多に出なくなっているように見える今の状況を考えると、120年以上前の大津事件が、たんなる歴史上の物語と思えないような気にもなります。
それはさておき、大津歴史の道マラニックの写真アルバムは、もう1回続けます。

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