
昨日は、母の故郷である石川県小松市安宅町(あたかまち)が出身で、京都や大阪に在住されている年配の方々が年に1度集まる「安宅会」が京都市内で開かれ、私は母にの付き添い役として飛び入りで出席してきました。
70代以上の安宅出身の方々が中心となっている会の中にあって、現在83歳の母は、いわば長老のような立場で、20年ぐらいは毎年出席しているということですが、健康状態が思わしくないここ数年は、同じ京阪電鉄沿線に住む叔父に付き添われていました。
ところが今回は、その叔父が所用のため行き帰りなどで付き添うことができなくなり、ちょうど仕事の入っていなかった私が代役を買って出たというわけです。
四条大橋の近くにある老舗の会席料理屋で開かれた会には、男女合わせて20人ほどが集まり、私は母と並んで「上座」に陣取らせてもらうことになって恐縮しましたが、わずかのお酒で一時気分が悪くなってしまった母を介抱したり、母が食べきれない料理や残ったお酒をいただいたりして、なんとか付き添い役をこなすことができました。
母は、出席された方々のすべてと継続的に親しく付き合ってきたわけではないようでしたが、安宅町にからんだ共通の話題が多く、私もなじみの深い石川弁が飛び交う郷土の会の雰囲気は心地よかったようです。
また、席の前に来ていただいた何人もの方々から昔の愛称で呼んでもらった母は、そのたびに急に表情が明るくなる様子で、そんな瞬間を経験させてあげられただけでも、あつかましく飛び入りさせてもらった意味があったのかもしれません。

「安宅会」のことを書いたものの、掲載した写真のうち会場で撮ったものは、京都の会席料理らしく見た目も味も繊細な、つきだしの一皿のみ。残る2枚は、最寄りの京阪電鉄・祇園四条駅から1次会、2次会の会場の間で撮ったものです。
そのうち歩道を歩く人たちが写っている1枚は、京都で最もにぎやかな四つ角である河原町四条の交差点で撮ったもの。
もう1枚は、四条大橋から鴨川の河原に腰を下ろす人たちを撮ったものです。
写真には写っていないものの、この左側には、昔ながらの風情が漂う小路・先斗町の川に面した店が、河原にせり出したテラスで客をもてなす夏の風物詩「川床」が並んでいますが、その先にある河原の流れのそばには、カップルなどが、ほぼ等間隔に座っています。
「鴨川・3メートル間隔の法則」と、私が京都で学生をしていたときから言われていた風景は、若者たちの装いが変わってしまった今も、30年以上前と同じです。
そんなことを思うと、住む人や行き交う人が変わっても、いつまでも基本的な地理は同じで、店や建物が形を変えても昔ながらの雰囲気を保っている町は、いつまでも生きながらえる生きもののように思えてきます。
70代以上の安宅出身の方々が中心となっている会の中にあって、現在83歳の母は、いわば長老のような立場で、20年ぐらいは毎年出席しているということですが、健康状態が思わしくないここ数年は、同じ京阪電鉄沿線に住む叔父に付き添われていました。
ところが今回は、その叔父が所用のため行き帰りなどで付き添うことができなくなり、ちょうど仕事の入っていなかった私が代役を買って出たというわけです。
四条大橋の近くにある老舗の会席料理屋で開かれた会には、男女合わせて20人ほどが集まり、私は母と並んで「上座」に陣取らせてもらうことになって恐縮しましたが、わずかのお酒で一時気分が悪くなってしまった母を介抱したり、母が食べきれない料理や残ったお酒をいただいたりして、なんとか付き添い役をこなすことができました。
母は、出席された方々のすべてと継続的に親しく付き合ってきたわけではないようでしたが、安宅町にからんだ共通の話題が多く、私もなじみの深い石川弁が飛び交う郷土の会の雰囲気は心地よかったようです。
また、席の前に来ていただいた何人もの方々から昔の愛称で呼んでもらった母は、そのたびに急に表情が明るくなる様子で、そんな瞬間を経験させてあげられただけでも、あつかましく飛び入りさせてもらった意味があったのかもしれません。



「安宅会」のことを書いたものの、掲載した写真のうち会場で撮ったものは、京都の会席料理らしく見た目も味も繊細な、つきだしの一皿のみ。残る2枚は、最寄りの京阪電鉄・祇園四条駅から1次会、2次会の会場の間で撮ったものです。
そのうち歩道を歩く人たちが写っている1枚は、京都で最もにぎやかな四つ角である河原町四条の交差点で撮ったもの。
もう1枚は、四条大橋から鴨川の河原に腰を下ろす人たちを撮ったものです。
写真には写っていないものの、この左側には、昔ながらの風情が漂う小路・先斗町の川に面した店が、河原にせり出したテラスで客をもてなす夏の風物詩「川床」が並んでいますが、その先にある河原の流れのそばには、カップルなどが、ほぼ等間隔に座っています。
「鴨川・3メートル間隔の法則」と、私が京都で学生をしていたときから言われていた風景は、若者たちの装いが変わってしまった今も、30年以上前と同じです。
そんなことを思うと、住む人や行き交う人が変わっても、いつまでも基本的な地理は同じで、店や建物が形を変えても昔ながらの雰囲気を保っている町は、いつまでも生きながらえる生きもののように思えてきます。
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