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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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走った!撮った!クンサン2

本日は痛めていた左ヒザのMRI検査の結果を聞き、予想していたより悪い結果にショックを受けたことから、写真を撮る余裕など全くありませんでした。
ということで引き続き、約半年前のネタである「走った!撮った!クンサン・セマングム国際マラソン」の写真を掲載します。

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掲載した写真のうち、走りながら片手を挙げてポーズをとってくれたのは、大会の事務局長で、サブフォーを狙った私と並走してくれたムン・ジョングさん。
一部往復コースのマラソンでは、トップ集団の黒人選手らとすれ違う場面もありました。

※※※

左ヒザの痛みの原因を探ろうと先週、病院で受けていたMRI検査の結果は、紹介元である近くの整形外科医院で聞いてきました。
レントゲン撮影では骨の異常が認められず、検査に先立って医院で打ってもらった注射で痛みが軽減したことなどから、先生の見立ては、3つの筋肉がヒザの内側の骨に付着する部分の腱が痛む「鵞足炎」で、MRIは、軟骨や靭帯などの異常がないことを確かめて、消去法的に鵞足炎と言えるかどうかを調べるものと思っていましたが、そうは問屋が卸しませんでした。

MRIで分かったのは、骨と骨の間でクッションやスタビライザーの役目を果たしている軟骨組織の「半月板」が断裂しているという診断結果でした。
画像を見たところでは、断裂は顕著なものではなかったものの、半月板に一部血流があって治癒が望める外側だけにとどまっておらず、手術をしたところで治るものではないとのことで、楽観的に考えていた私の気持ちは一気に真っ暗になりました。

トライアスロンの後に激化した痛みの原因が、この半月板断裂によるものかどうかは分かりません。
ただ、間接内に水がたまっていたことや、先生は否定するものの、病院側の診断では靭帯の損傷も認められるとされていたことから、鵞足炎を起こしていたり靭帯を痛めていたりする可能性もあるのですが、半月板が断裂していること自体は事実のようです。
だとすれば、痛みが延々と長引く可能性もあるうえ、半月板断裂の場合には変形性膝関節症に移行する恐れもあることから、これまで通りにランニングを続けることは難しくなりそうです。

そのため夜な夜な、ヤケ酒をあおっていた際には、「ランニングだけが取り柄のような自分からランニングをとったら、何が残るのだろう」などと落ち込んでいましたが、そんなふうに思っても何の足しにもなりません。
さめて考えると、第1の原因は加齢であるわけですし、これで全く走れないと決まったわけでもありません。
そもそも既に頑張ってフルマラソンを走ったところで、ベストタイムより1時間も余計にかかるわけですから、頑張る意味などありませんし、これを機にヒザへの負担が少ない水泳や自転車へとトレーニングを大幅にシフトして、トライアスロンを中心に楽しむことだって、できるかもしれません。

それに何より、これまでの人生で100回に近いほどのマラソンをはじめ好きなことは存分に楽しんできたわけですから、年相応にできないことが増えてきたからといって、それほど落ち込むには足りません。
病気や不可逆的な体の異常が、もし幼い子どもたちの身に起きたとすれば悲しむに悲しみきれないということになるでしょうが、自分の体に年相応のガタがきたからといって、それは当然のことですから、この際、子どもの代わりに自分の体が傷んだのだとでも思っておくことにします。

2人の子どもが生まれ、自分は会社の定年が近付いているというのに、いつまでも若かったころ通りの生活にこだわっていたことも、大人げなかったと言えるかもしれません。
そして今こそ、生活の中でランニングが占めてきた割合を少しだけでも控えめにしながら、もっと新しい目標を掲げて人生の新しいステージに踏み出すことを、真剣に考える良い機会のようにも思います。

思えば、左ヒザに異常を感じ始めたのは、3カ月に渡る負荷の高いトレーニングを経てクンサンのマラソンで久々のサブフォーを達成した直後からでした。
あのときはサブフォー達成を足場に、さらにパフォーマンスを若いころに近づけていこうなどと思っていましたが、実際には、最後のあがきだったということになるかもしれません。
でも、そうなったとしても仕方はありません。言ってみればヒザに爆弾を抱えてしまった今の状況が、これからの人生のスタートラインになったということですから。

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