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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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さようなら衿野さん

一昨日から2泊3日で上京していた私は本日、今年9月中旬に膠原病の難病のため急逝された作家で友人の衿野未矢さんを「偲ぶ会」に出席してきました。
衿野さんは6年前、私が東京・銀座で初めて開いた写真展に来場していただいたのを機に知り合って、その後も私の写真展を応援してくれたり、私が運営にかかわってきた東京夢舞いマラソンに毎年ゲストランナーとして走ってくれたりしました。さらに夢舞いとの間で交流している韓国・コチャンのマラソン仲間の歓迎会にも毎回来てくれ、私が所属する明走会にも参加してくれました。

しかし、私が名古屋から大阪へと転勤になって子ども2人をもうけ、衿野さんもまたご結婚されて新潟・魚沼へと足場を移されたことからイベント以外でお会いする機会がほとんどなくなりました。とはいえ、こちらの子育てが一段落したら魚沼に遊びに行きたいと話していたのですが、そんなころに彼女は病気と闘う生活に入られることになりました。
それでも衿野さんは昨年の夢舞いには参加して、元気な笑顔を見せてくれました。そのため、その後も療養を続けているとうかがってはいても、それほど深刻な状態ではないと思い込んでいました。

ところが亡くなられる1カ月ほど前になって「回復の見込みはありません」とのメッセージをいただきました。
「まだコミュニケーションが取れる間に、お礼とご挨拶を‥‥。おかげさまで楽しく充実した人生でした。本当にお世話になりました。ありがとうございました!」という切羽詰まった内容のメッセージは、鎮静剤による治療で眠りにつかれるその日に受け取り、その後、少しばかりメッセージのやりとりをしましたが、結局お会いすることはかなわないまま、訃報に接することになりました。

既にご本人がいらっしゃらない中で「偲ぶ会」に出ることの意味がどれだけあるのだろうかと思いもしましたが、感謝の気持ちをご主人に直接伝えたいと思ったこと、そして共通の仲間らと会って思い出を語ることが、少しでも供養になるとともに自分の気持ちを落ち着かせるすべにもなるように思いました。
そして、ちょうど近い日付で予定された他の用事も抱き合わせにして上京することを決めたわけです。

BL161203衿野さんを偲ぶ会の日4IMG_0546     BL161203衿野さんを偲ぶ会の日5IMG_0545     BL161203衿野さんを偲ぶ会の日6IMG_0547

衿野さんを偲ぶ会には、ご主人や妹さんをはじめ、お仕事のつながりがあった出版関係の人のほか、出身校の立命館大学や、趣味のランニングや落語でつながりのあった友人ら100人以上が集まり、彼女の交友の広さ、深さがうかがい知れました。

会場には、衿野さんが書かれた数十冊もの著書を並べたコーナーや、妹さんがまとめられた思い出の写真の展示のほか、生花で囲まれた遺影のわきには、彼女が大好きだった新潟の地酒「緑川」の一升瓶が並べられ、緑川は献杯や、立食形式による懇談の際のドリンクとしても提供されていました。
私は連日の深酒で体調が思わしくなく、偲ぶ会の後にも帰阪前にもう一席が予定されていましたが、もうこれは飲むほかなく、美味しい緑川を何杯も飲み干して衿野さんを偲ばせてもらいました。

そう、衿野さんといえば大のお酒好きという印象が強く、夢舞いマラソンと交流する韓国のコチャン・コインドルマラソンの仲間たちが初めて来日した際も、浅草の「駒形どぜう」など自ら行きつけの日本酒の美味しい店3軒に皆を連れて行かれ、マラソン前にいきなり午前様で楽しく飲み続ける彼女に、酒の強さの偏差値では日本人を上回るはずの一行を、びっくりさせていました。

そのころは私も楽しく飲み始めると止まらず、2次会、3次会と行きたがるため「妖怪もう1軒」と仲間から呼ばれるほどだったため「相手に不足はない」と感じましたが、その後いろんなお酒の場で、楽しくかわいらしく絡んでこられる衿野さんには、結局「かなわない」と思うほどでした。

そんな衿野さんですが、お酒の席で雑誌の編集者など新しい知人を紹介していただくことも多く、また彼女の方も、私の写真展のオープニングパーティーの2次会で、こちらが紹介した先輩記者のつてで、私も知っている編集者と一緒に本を書かれるという縁を持ってくれるなどしていたことを、本日になって知りました。

どうやら衿野さんは、人と人をつなぐ道具にもなるランニングやお酒が好きで、自分の周囲の人たちを楽しくさせるとともに新しい縁の輪を広げる、そんな力を持った人だったようです。衿野さんにはとても及びがつかないものの、同じようなところのある私が、彼女と相通じる部分があるように感じたのは、当然のことだったのかもしれません。

そうして亡くなった後になってもなお、こんなに多くの人を集め、結びつけようとしている衿野さんは言ってみれば、まだまだ生きているようなものです。いつかは必ず皆が、この世から旅立つと分かっていながら、それでも人が生きる意味の1つは、やはりそんなところにあるような気がします。

衿野さんとまたお会いして、お酒が飲めないなんて残念でなりません。
でも彼女が残してくれた人の縁や、自分自身が培ってきた人の輪を大事にして、さらに育て、それと同時に多くの人に対して自分が表現したいことを伝え続けることが、衿野さんへの供養になるのかもしれません。

同じぐらいの年齢でほぼ同時期に新しい人生へのスタートを切りながら、私だけが子どもらとともに生きながらえさせてもらっているのは、なんだか不公平でなりませんが、考えてみると、私は衿野さんほど全力で生きて多くのモノを残せたわけでもありませんので、つきなみな言葉ですが、彼女の分まで、まだまだ頑張ることができればと思います。

とりあえずは、さようなら衿野さん。

※※※

BL161203衿野さんを偲ぶ会の日1IMG_0530  BL161203衿野さんを偲ぶ会の日2IMG_0533  BL161203衿野さんを偲ぶ会の日3IMG_0535

オマケの写真はまず、偲ぶ会に先立って2日連続で出かけた東京体育館のプール前で撮った3枚。
マッコリを浴びるように飲んだ明くる日に泳ぐのは、ちょっと気合いが必要でしたし、案の定あまり調子は良くありませんでしが、せっかく与えられた時間は、めいっぱい有効に使いたいと思って、ヒザのリハビリを兼ねた水中ウオークとスイム練習に励みました。

    BL161203衿野さんを偲ぶ会の日7IMG_0554     BL161203衿野さんを偲ぶ会の日8IMG_0562     BL161203衿野さんを偲ぶ会の日9IMG_0565

そして偲ぶ会の後、会場から向かったJR神楽坂駅の近くで撮った細い三日月と、東京駅前で撮った2枚。
東京駅前では、最終に近い新幹線に乗り込むのに先立って、お酒の席に顔を出し、私なりに人と人とを結びつける、ちょっとしたシゴトをすることになりました。

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