“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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ひらがな表でお勉強

文字を覚え始めた3歳の息子が、ひらがなを習得するための手助けに、このところリビングの一角や浴室の中に「ひらがな表」を登場させました。

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しばらく前から看板などの文字を見るたび「これ何て書いてあるの」と質問を繰り返していた息子は、よく見る文字については英語でも漢字でも、その形で読み方を覚えるとともに、時分の名前などのひらがなも徐々に読めるようになっていました。

そんな彼には最初、ひらがなを習得してもらうためにカレンダーの裏紙を使って「あ」から「わ を ん」までの手書きの表をつくってやっていましたが、さらに濁点や半濁点の付いた文字や小さな「や」の付いた文字についても読みたがったため、めんどうなので、出来あいの表をゲットしたというわけです。
さらに先日ゲットしていたミニキーボードの鍵盤には「ど れ み…」の文字シールも、はってやりました。

その結果、遊び感覚で繰り返し表などを見ていた息子は、あっという間に、ほとんどのひらがなを読めるようになって、絵本などの文字も、日本語を学ぶ外国人のようにして、とつとつと口に出せるようになっています。
まったく子どもの好奇心や吸収力というのは驚くほどで、その逆に、どんどん頭が固くなって「新しいことは、もう覚えなくて良いかな」と考え始めている自分も、そんな子どもを見ていると、見習いたいものだと思えてきます。

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朝採り野菜、お弁当

本日は少し早起きをして、近くの農家の方が朝採りの野菜を露店で産直されている無人の売り場に出かけて野菜を買ってきた後、朝食の用意をするとともに託児所に出かける幼い子ども2人のお弁当を、初めて作りました。

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野菜の売り場で100円でゲットしてきたのは、つぼみの付いた若いコマツナとホウレンソウ。
コマツナはつぼみや小さな葉を付けて伸びてきたばかりの、見るからに美味しそうな細い茎がドッサリと1束。そしていつもいただいているでっかいホウレンソウも量からするとスーパーの190円や290円のものの2、3倍はあります。採りたてで朝露のついたこれらの野菜が一律100円なんて目を疑うばかりで、まさに「早起きは三文の徳」です。

さっそく、さっとゆがいてお浸しにしたコマツナは、柔らかくて甘くて、えも言えない美味しさ。子どもたちも茎の部分をマヨネーズに付けては何本も食べてくれ、つぼみはお弁当の飾りに入れてやりました。

お弁当はゴマのおにぎりに根菜と原木シイタケの煮しめ、卵焼きにローストチキン。
デザートはミニトマトにリンゴですが、息子の方は彼が好きな皮付きのまま一口サイズにしてやりました。
急いでつくったため、下ゆでしたはずの煮しめの里いもがやや固めになってしまいましたが、全部食べてくれているかどうか、ちょっと楽しみです。

土筆の天ぷら&お酒

日中の勤務となった本日は久々にロードバイクに乗って自転車通勤をしました。

途中で棄権したハーフマラソンの後もヒザの痛みは強まらず、わずかな圧痛を残すばかりだったからですが、朝はギリギリに自宅を出たうえ、帰りには途中で少し前に現れた、かなり快速のロードバイク乗りの人に着いて走ってしまい、強度を下げてリハビリをしていくということが、なかなかできません。それで結局、夜な夜なヒザの圧痛が少し強まりましたが、それでもまだ湿布を張れば引いていく程度です。

出勤時に時間的な余裕があれば、再び淀川の堤防でツクシ(土筆)を収穫していこうかと思いましたが、それはならず、その代わりにハーフマラソンの際に摘んだツクシで、その日のうちにつくった天ぷらと、このところいただいているお酒の写真を掲載します。

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ツクシのほろ苦さと歯ごたえを楽しむには、お浸しが定番なのでしょうが、初めて試した天ぷらもまた、苦さが凝縮されて独特の香りもキープできるうえ、子どもにも好評でした。

このところいただいているお酒は、新たに栓を開けたばかりの一升瓶で、広島・福山市の「純米大吟醸 生ぜめ 天寶一(てんぽういち)」と、先ごろ伝統野菜の「高山真菜」を収穫してきた大阪・豊能町の高山地区で売られている四合瓶の「純米大吟醸 右近」。
この右近は、高山が誕生の地である戦国のキリシタン大名、高山右近にちなんだ命名で、地元の酒造好適米キヌヒカリを使って、右近が洗礼を受けた地である奈良・宇陀市の酒造が醸造したものです。

いずれの酒も、大吟醸とはいうもののフルーティーな際立つ香りがあるわけでなく、お米らしい控えめな香りと細やかな味の、似たタイプのお酒で、グイグイと飲み過ぎてしまうことはなく、和食の食中酒としてチビチビといただくのにピッタリな感じです。
いずれが好みかといえば、そうした中でも、やや酸味がきいて、みずみずしい香りも立つ天寶一の方ですが、こちらが一升瓶で2800円なのに、右近の方は四合瓶で2000円と2倍近い値段です。
高山を訪ねて、右近ゆかりのお酒を見せられると、お酒好きの私としては買って飲んでみるしかなかったのですが、こうして似たタイプの別の酒と飲み比べてみると、ちょっと不満が残ってしまいます。

もちろん、お酒の味なんて飲む人次第ですし、宇陀市の酒造会社がどんなお酒をつくってられるのかは知りませんが、「右近」と銘打って高山で観光客向けに売れば、売れるに違いないというところに、ちょっと甘えてしまったのかもしれません。
せっかくなら値段以上のものをつくって、それで高山真菜とともに高山の地域おこしに一役買ってくれればと、真菜を通じて高山に愛着を持った者としては思わざるを得ません。

おやつ三昧の日々

幼い子ども2人と暮らす日々では、3度の食事に加えて、おやつの時間が必要になります。
私自身も甘いものや果物が大好きで、泊り勤務の際にも、ついつい仕事の合間に間食をしてしまいますが、泊り勤務の多い職場とあって日中に家にいるケースが多いため、子どもと一緒におやつをいただくこともしばしばです。

ヒザの故障を抱えてトレーニング量がガタ落ちしているなかで、そんなふうにおやつもいただいているため、当然のことながらウエイトも増えてしまってしまっていますが、かといって食べたいものを我慢するのは精神衛生上よろしくありません。
というわけで、ヒザと相談しながら日常的に運動する生活を次第に取り戻していかなければと思っているわけですが、とりあえず本日掲載するのは、そのおやつの写真です。

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ホットケーキ用の粉でつくった、分厚くて多きなカステラは、子どもに読み聞かせている絵本「ぐりとぐら」の中に出てくる巨大なカステラをイメージしたもの。お手軽なおやつとはいえ、やはり出来立ては美味しいもので、私も大きなひときれを何枚もいただいてしまいました。

やはり出来立てが断然美味しいのはポップコーン。深い鍋にトウモロコシを入れてつくると、どんどん弾けて膨れ上がり、フタが押し上げられてくるのが見ものです。
そしてアツアツをボウルのような食器に入れていただくと、子どもも大人も止まらなくなって、あっという間に最後の1粒までなくなってしまうというわけです。

ジムコのパーツたち

3日前に「里子」に出してお別れをした、30年来の愛車ジムコについて、もう1回だけ記事を掲載します。
今回写真で紹介するのは、私の目に焼き付いて、体の一部のようでもあったジムコのパーツなどです。

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ジムコは1987年、私の初任地だった群馬県で購入したスズキのジムニーです。
軽自動車でありながら四輪駆動の本格的なオフロード車であるジムニーは、今日まで続く人気の車種で、多くのマニアを引きつけてきました。その基本性能は継承されていますが、今のジムニーは以前のものよりさらにパワフルでありながら、丸みを帯びたデザインは洗練されたものになっています。それに比べジムコはその質実剛健さを示すような無骨なフォルムと面構えをしていました。

ジムコ以前のジムコ以前のジムニーは、なんとバイクと同じ2サイクルのエンジンを搭載していて、パンパンと弾けるような元気なエンジン音が特徴でした。
実のところ私が群馬県の前橋支局に赴任して初めて中古で購入した車は、その2サイクルの旧型ジムニーでした。その一番目の理由は、私が学生時代以来の大の山好きで、林道の一番奥まで入ることのできる車が欲しかったからですが、また身長187センチと長身の私が圧迫感をおぼえることなく乗れる軽自動車といえば、限られていたということもありました。

そして、スピードこそ出ないものの山に行けば、めっぽう力強い旧型ジムニーにほれ込んでしまった私は、ジムニーのエンジンが2サイクルから4サイクルのターボ付きへと変更になったばかりのタイミングで、ジムコを購入したというわけです。
その後、間もなくしてターボエンジンはインタークーラー付きのターボエンジンへとパワーアップし、さらに排気量も550ccから660ccへと格上げになったため、ジムコはかつての2サイクルエンジン車のように旧型になってしまいましたが、ジムニーが初めて2サイクルから4サイクルへと変わった際の、いわば記念碑的な存在でした。

初めてジムコに乗ったときは、それまで2サイクル車に乗っていたため、なんて静かでパワフルな車だろうと感激したものですが、軽自動車のパワーが底上げされていくと、いつしか再び、ジムコはどの車と比べても高速走行が苦手で、エンジンなどの音や振動も最も大きい車になっていました。
とはいえ時速100キロで巡行することはできましたし、雪道や山道では、どの車よりも強いジムコの魅力はあせることなく、愛着は深まるばかりで手放すに手放せず、気が付くと30年が経過していたのでした。

しかし、電子機器のかたまりのような今の車と比べてジムコの構造はシンプルそのものであるため、大きな故障もなく、その力強さはそのままに走行距離が10万キロを超えても元気に走り続けてくれていました。
その外観こそ、塗装のツヤがなくなり、まさに鉄板でできたボディの縁に錆びが目立つようになったジムコでしたが、同じく30年を経過した私自身が、シワが増えてくたびれたうえ、駆けっこをするためのエンジンである心肺機能も重要なパーツであるヒザもガタがきたのに比べると、まだまだ若々しいままだったと言えます。

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ジムコを購入したのは、群馬県子持村(現在は渋川市)の池田モーターズさん。
バイクを中心に扱ってられたこの店のご主人は自らハーレーダビッドソンを乗り回してられ、地元の上毛新聞社の先輩記者と知り合いだったことから紹介してもらって、2サイクルの旧型ジムニーも、その後継となったジムコもともに、そこで買わせていただきました。

私の会社に加盟してもらっている上毛新聞は、当時の職場が間借りをさせてもらっていた新聞社でもあり、新米だった私にとって兄貴分のような存在でもあった警察担当の記者のうちキャップだった方が店を紹介してくれたのですが、やはり何かとお世話になったサブキャップは、なんと今やベストセラー作家の横山秀夫さんでした。
そうそう、その横山さんは当時、ちょっとしたカーマニアで、ジムコと同じスズキの軽自動車でスポーツカータイプのアルトワークスに乗って、できたばかりの関越自動車道をかっ飛ばしてられました。もちろん、私がジムコを購入した際には、横山さんにも乗っていただきました。

そんなふうに先輩の紹介で知り合った池田モーターズさんには、近くに取材に行くたびに顔を出してお茶話をするなど懇意にしていただき、私が10年ほど後になって1年余りの間カンボジアに赴任した際には、ジムコを預かっていただきもしました。

ジムコが本領を発揮するのは四輪駆動で走るときですが、街乗りの際には軽くハンドルを回せて燃費も良い後輪駆動で走り、その切り替えは前輪のホイール部分のロック/フリーダイヤルと、ギヤチェンジ用のレバーとは独立した専用レバーを使って行いました。四輪駆動の際には、通常の四輪のほかに四輪ローに切り替えることもでき、これを使うと林道の急坂でも戦車のように登っていくことができました。

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ジムコの計器類やダッシュボード周りは、今となってはアナログでレトロの極みですが、当時は最新のデザインで、カセットプレーヤー付きのカーラジオや、エアコンが付いていたのも、高級仕様でした。

高いヘッドレストが付いて、体を包み込むような形の運転席のシートも秀逸でしたが、残念ながら長年の使用によって座面の布が一部破れてしまい、その上に、ジムニー用部品の専門店で購入した合成皮革のシートカバーを着けて使っていました。

初任地の群馬県で購入したジムコは、続いて仙台に赴任した後は東北各地で活躍し、札幌に転勤した際には関門海峡をフェリーで渡って北海道に上陸。北海道を1周したり雪道を走り回ったりした後は再び苫小牧からフェリーに乗って東京に上陸するという具合に、私と一緒に各地を巡って走り続けてくれました。
そんなジムコとの旅について書き始めると、これはもう止まらなくなってしまいそうですので、このあたりにしておきますが、まだまだ走れそうなジムコを廃車処分にしてしまうのではなく、近所の方に引き取ってもらって乗り続けてもらえるというのは、ありがたい展開だったと思っています。