3日前に「里子」に出してお別れをした、30年来の愛車ジムコについて、もう1回だけ記事を掲載します。
今回写真で紹介するのは、私の目に焼き付いて、体の一部のようでもあったジムコのパーツなどです。

ジムコは1987年、私の初任地だった群馬県で購入したスズキのジムニーです。
軽自動車でありながら四輪駆動の本格的なオフロード車であるジムニーは、今日まで続く人気の車種で、多くのマニアを引きつけてきました。その基本性能は継承されていますが、今のジムニーは以前のものよりさらにパワフルでありながら、丸みを帯びたデザインは洗練されたものになっています。それに比べジムコはその質実剛健さを示すような無骨なフォルムと面構えをしていました。
ジムコ以前のジムコ以前のジムニーは、なんとバイクと同じ2サイクルのエンジンを搭載していて、パンパンと弾けるような元気なエンジン音が特徴でした。
実のところ私が群馬県の前橋支局に赴任して初めて中古で購入した車は、その2サイクルの旧型ジムニーでした。その一番目の理由は、私が学生時代以来の大の山好きで、林道の一番奥まで入ることのできる車が欲しかったからですが、また身長187センチと長身の私が圧迫感をおぼえることなく乗れる軽自動車といえば、限られていたということもありました。
そして、スピードこそ出ないものの山に行けば、めっぽう力強い旧型ジムニーにほれ込んでしまった私は、ジムニーのエンジンが2サイクルから4サイクルのターボ付きへと変更になったばかりのタイミングで、ジムコを購入したというわけです。
その後、間もなくしてターボエンジンはインタークーラー付きのターボエンジンへとパワーアップし、さらに排気量も550ccから660ccへと格上げになったため、ジムコはかつての2サイクルエンジン車のように旧型になってしまいましたが、ジムニーが初めて2サイクルから4サイクルへと変わった際の、いわば記念碑的な存在でした。
初めてジムコに乗ったときは、それまで2サイクル車に乗っていたため、なんて静かでパワフルな車だろうと感激したものですが、軽自動車のパワーが底上げされていくと、いつしか再び、ジムコはどの車と比べても高速走行が苦手で、エンジンなどの音や振動も最も大きい車になっていました。
とはいえ時速100キロで巡行することはできましたし、雪道や山道では、どの車よりも強いジムコの魅力はあせることなく、愛着は深まるばかりで手放すに手放せず、気が付くと30年が経過していたのでした。
しかし、電子機器のかたまりのような今の車と比べてジムコの構造はシンプルそのものであるため、大きな故障もなく、その力強さはそのままに走行距離が10万キロを超えても元気に走り続けてくれていました。
その外観こそ、塗装のツヤがなくなり、まさに鉄板でできたボディの縁に錆びが目立つようになったジムコでしたが、同じく30年を経過した私自身が、シワが増えてくたびれたうえ、駆けっこをするためのエンジンである心肺機能も重要なパーツであるヒザもガタがきたのに比べると、まだまだ若々しいままだったと言えます。

ジムコを購入したのは、群馬県子持村(現在は渋川市)の池田モーターズさん。
バイクを中心に扱ってられたこの店のご主人は自らハーレーダビッドソンを乗り回してられ、地元の上毛新聞社の先輩記者と知り合いだったことから紹介してもらって、2サイクルの旧型ジムニーも、その後継となったジムコもともに、そこで買わせていただきました。
私の会社に加盟してもらっている上毛新聞は、当時の職場が間借りをさせてもらっていた新聞社でもあり、新米だった私にとって兄貴分のような存在でもあった警察担当の記者のうちキャップだった方が店を紹介してくれたのですが、やはり何かとお世話になったサブキャップは、なんと今やベストセラー作家の横山秀夫さんでした。
そうそう、その横山さんは当時、ちょっとしたカーマニアで、ジムコと同じスズキの軽自動車でスポーツカータイプのアルトワークスに乗って、できたばかりの関越自動車道をかっ飛ばしてられました。もちろん、私がジムコを購入した際には、横山さんにも乗っていただきました。
そんなふうに先輩の紹介で知り合った池田モーターズさんには、近くに取材に行くたびに顔を出してお茶話をするなど懇意にしていただき、私が10年ほど後になって1年余りの間カンボジアに赴任した際には、ジムコを預かっていただきもしました。
ジムコが本領を発揮するのは四輪駆動で走るときですが、街乗りの際には軽くハンドルを回せて燃費も良い後輪駆動で走り、その切り替えは前輪のホイール部分のロック/フリーダイヤルと、ギヤチェンジ用のレバーとは独立した専用レバーを使って行いました。四輪駆動の際には、通常の四輪のほかに四輪ローに切り替えることもでき、これを使うと林道の急坂でも戦車のように登っていくことができました。

ジムコの計器類やダッシュボード周りは、今となってはアナログでレトロの極みですが、当時は最新のデザインで、カセットプレーヤー付きのカーラジオや、エアコンが付いていたのも、高級仕様でした。
高いヘッドレストが付いて、体を包み込むような形の運転席のシートも秀逸でしたが、残念ながら長年の使用によって座面の布が一部破れてしまい、その上に、ジムニー用部品の専門店で購入した合成皮革のシートカバーを着けて使っていました。
初任地の群馬県で購入したジムコは、続いて仙台に赴任した後は東北各地で活躍し、札幌に転勤した際には関門海峡をフェリーで渡って北海道に上陸。北海道を1周したり雪道を走り回ったりした後は再び苫小牧からフェリーに乗って東京に上陸するという具合に、私と一緒に各地を巡って走り続けてくれました。
そんなジムコとの旅について書き始めると、これはもう止まらなくなってしまいそうですので、このあたりにしておきますが、まだまだ走れそうなジムコを廃車処分にしてしまうのではなく、近所の方に引き取ってもらって乗り続けてもらえるというのは、ありがたい展開だったと思っています。