“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

最新トラックバック

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

FC2カウンター

全記事表示リンク

福島の茅葺き古民家

昨日から家族と一緒に宮城・福島を訪ねる旅に出てきた私は本日、福島郊外の茅葺きの古民家にお住まいの米子さんと健兒さんのご夫妻に会いに行きました。

薬剤師で、有機農業や安全で美味しい食の研究を続けられ、環境問題にも造詣が深い米子さんは、それらに関する様々な地域活動に携わるほか、20冊以上の著書もあって、「福島のレイチェル・カーソン」と呼ばれることもあるほどです。
福島大学の教育学部で教鞭をとられ、現在は名誉教授の健兒さんも、農業や食の問題を生かす「食農教育」を研究されていて、20年余り前に移り住んだ茅葺きの古民家は、そんなお2人の生活と研究の足場でもありましたが昨年、米子さんが大きな病気をされたのを機に、とうとう手放すことを決心されました。

そのことを今年の年賀状で知った私は、なかなか訪ねる機会がないとはいえ、この古民家を、いつでも待っている自分の田舎のように思っていただけに、他の人の手に渡ってからでは遅いと感じて、訪問する機会をうかがっていました。
ご病気のことなどがあって、残念ながら宿泊させていただくことは難しかったのですが、宮城から往復してお昼をいただくという形で、お2人との再会を果たすことができました。

BL170521境野邸1IMG_6030  BL170521境野邸2IMG_6027  BL170521境野邸3IMG_6040

BL170521境野邸4IMG_6054     BL170521境野邸5IMG_6091     BL170521境野邸6IMG_6052

地方記者時代、事件や事故を追うかたわら、まさに環境保護や食の安全をテーマとする取材を続けていた私は、松林や水田への農薬の空中散布の問題を取材するなかで、米子さんご夫妻に出会いました。

駆け出しの記者だった私は、初任地で米子さんの郷里でもある群馬・前橋の支局時代、1年目に日航ジャンボ機が墜落したのをはじめ大きな事件も続いて1カ月に200時間以上も残業するほどの忙しさでしたが、そんな合間に松林への空中散布問題で同期の記者とともに全国レベルの特集を組み、福島で反対運動を成功に導いた米子さんを訪ねました。

当時はまだ福島市街地の住宅にいらっしゃった米子さん健兒のご夫妻とは、取材の際にいきなり家に泊めてもらい、お酒を飲んで意気投合。
それ以来、ご家族の皆さんとも仲良くさせてもらって、3人のお子さまのうち当時まだ小学生くらいだった一番下の桃ちゃんは長らく将来の結婚相手は私だと思っていたそうです。

前橋の後、仙台に転勤となった私はさらに米子さんを通じ、東北地方の水田に対する空中散布の問題などを取材して、地元紙にも大きく掲載されるような記事を書くなどしましたが、それはそれとして、ご家族とお付き合いして、美味しいものをいただくことの方こそ、記者生活の楽しさのように感じていました。
そう、名刺1枚で会いたい人と会えることこそが新聞記者の醍醐味であり、大きなことをなしている取材相手に対して自分自身は、いつまでも何ものにもなれないものの、取材を通じてつくる人間関係こそが財産なのだと思って、そのころの私は仕事をしていました。

ただ気が付いてみると、そうして各地で築いた人間関係ではあるものの、その多くは既に途切れ、年賀状だけのやりとりに終始しそうな相手も少なくないわけで、今こうして定年を3年後に控えた私としては、そうした人間関係を再び確かめたおきたいという思いにかられたのかもしれません。

そんなふうにして訪ねた米子さんたちの茅葺きの家のたたずまいは、10年ほど前に来たときと何ら変わることなく、あふれかえるような緑に包まれていました。
裏山などで採られたというフキノトウやツクシ、それにウコギなどを使った料理は今回もすべてが美味しく、健兒さんが自ら打ってくださったソバも絶品でした。

ただ、自然に寄り添う暮らしをされているご夫妻にとって、6年前の震災・原発事故は想像以上の大打撃で、最近までは庭の畑や裏山で採れる野菜や山菜を食べることもかなわず、放射能が高濃度でたまった茅葺きの屋根も吹き替えを余儀なくされたとのこと。
健兒さんが直前まで調査されていた近くの飯館村では、住民の方々が避難生活を強いられ、規制が解除されたといっても、子どもたちが帰ってくることはできないままだということです。

原発に反対する活動も続けてられた米子さんの、ささやかな田舎暮らしを標的にするかのように原発事故による放射能が降り注いだというのは全く因果なもので、そのことが売りに出された古民家に、なかなか買い手がつかない理由の1つになっているというのも受け止めがたいことなのだと思います。

そもそも、高速道路を下りて茅葺きの古民家に向かう途中は、行けども行けども山も田畑も緑一色。
この地域と何ら変わらなかったはずの緑あふれる広大な地域が、いまだに放射能によって人も入れないということに対しては、抑えられないほどの憤りを感じるばかりです。

震災被害と一言でいうものの、純粋な自然災害である津波被害と、ほぼ100%「人災」と言える原発事故の被害は全く別物です。それがあたかも同じように論じられ、すべてが天災だったかのようにされたうえ、原発が次々と再稼働を迎えているという今の世の中の不合理を、茅葺きの古民家への再訪で再び思い知ることにもなりました。

スポンサーサイト

仙台で至高どぶろく

本日から3日間の休みをいただき、宮城と福島への旅行に出かけてきました。
東北地方の中心である宮城の仙台は、私が入社して4年目からの2年間の地方勤務の記者時代に住んでいた場所で、今回はそのころに取材で知り合って長年、年賀状のやり取りは続けているものの、お会いする機会がなかったり少なかったりした人たちを訪ねる旅となりました。

B170520仙台行き1IMG_5959  B170520仙台行き2IMG_5967  B170520仙台行き3IMG_5970

今回の旅行には家族にも付き合ってもらいましたが、大阪から東京経由で新幹線に乗るのは長い時間と乗り換えの手間がかかるうえ、運賃・料金もかなりの額になることもあって、関西空港から仙台行きの格安航空会社・ピーチアビエーションの便を初めて使ってみることにしました。
とはいえ、ピーチの便は関空のメインターミナルから離れた第2ターミナルでタラップを上って搭乗するうえ座席も狭く、早朝と午後の便しかなかったため夕方に到着することとなりましたが、それでも空の旅は韓国に行くのとほぼ同じ1時間余りで、飛行機の便利さを実感することになりました。

仙台空港でレンタカーを借りて向かったのは、仙台市の郊外で田んぼを作ってられる稲作農家の重利さんのお宅。
かつて宮沢賢治が冷害に強い品種として東北各地での栽培を勧めていたという品種「陸羽132号」を復活させた重利さんは、その赤っぽく色づき、稲穂が大きく垂れる132号の米を使ってひそかにドブロクも醸してられて、当時いただいたドブロクは忘れられないほどの美味しさでした。

重利さんはその後、陸羽132号から生まれた新しい品種や、「亀の尾」「龍錦」といった、やはりいにしえの酒造好適米の栽培も試みて、稲作とドブロクをテーマにした詩集も出版。
何年も前に、その本を贈っていただいてから、また重利さんのドブロクを飲んでみたいという思いが膨らんでいたのです。

今回の旅行前、20年以上ぶりにお電話した重利さんに、のっけから「ドブロクありますか?」とぶしつけな質問をした私に対し、「まだ少しだけ残っていますよ。ゆっくり来てください」と口調こそ昔のままに無愛想ながら、やさしく言ってくださった彼は、震災後に建て替えたという家の座敷に落ち着いた私に、さっそく新品種と龍錦で醸したドブロクの一升瓶を両手に提げて差し出してくれました。

そのドブロクの美味しさといったら、この世のものとは思えないほど。
私自身も大のドブロク好きで、自宅で作ってみたこともあるとはいえ、しょせん清酒を造る前段のお酒くらいに思っていましたが、実は全く別のお酒で、しかも美味しく醸したドブロクは、その複雑で深い味わいも圧倒的な香りも、清酒以上なのだということを思い知ることになりました。

当時、「宮沢賢治の米を復活」などという見出しで、刈り取ったばかりの陸羽132号を抱えて満面の笑みをたたえる重利さんの写真をつけて配信した私の記事は全国の新聞で大きく掲載されました。
それ以来、岩手の「賢治記念館」や賢治の研究者から数多くの問い合わせを受けて、何年もの間、講演や執筆活動に忙殺されたという重利さんは、喜んでくれていたと思いきや「えらい目に遭った」と何度も私を責めましたが、その目が笑っているのを見ながら安心して美味しいドブロクの杯を重ねた私は、「気を付けて飲んでくださいよ」という助言も空しく、ついにダウンを喫し、旅行の初っ端から失態をさらすことになりました。

追い風で快適通勤

朝早めの時間から夕方の勤務となった本日は1日中晴天で、昼間は夏を思わせるような暑さになったということですが、残念ながら職場を一歩も離れられない私は、そのことを知るよしもありません。

その代わり、まだまだ涼しい朝夕はロードバイクに乗って自転車通勤をして、初夏の空気に存分に触れることができたうえ、なんと本日は朝夕ともに追い風基調。淀川の河川敷では行き帰りとも時速35キロ前後を出して快適にペダルをこぐことができ、片道20キロの所要時間は、信号待ちなどを含めて50分前後でした。

快適に飛ばしている間はバイクを止めて写真を撮る気などしなくなるものですが、往路の淀川河川敷が終わる淀川大堰・毛馬閘門(こうもん)近くでは、快晴の空をバックにした大阪・キタのビル街が、あまりにクッキリと見えたため1枚だけパチリ。
復路でも、ちょうどこのあたりで、大堰の間に沈んでいく夕日が見えて、もう1枚。さらにその後、夕焼け空の上に、引っかき傷をつくっていくようなオレンジの飛行機雲が4本描かれていくのを見て、さらに1枚撮ることになりました。

BL170519バイク通勤1IMG_2940  BL170519バイク通勤2IMG_2947  BL170519バイク通勤3IMG_2952

菜園に支柱、ネット

泊まり勤務明けの翌日で休みをいただいていた本日は、自宅そばに借りた家庭菜園に支柱やネットを設置しました。

BL170518支柱立て1IMG_5931  BL170518支柱立て2IMG_5924  BL170518支柱立て3IMG_5923

自宅から50メートルという至近距離にある家庭菜園ですが、粘土質の土の状態があまり良くないことや水はけもイマイチなことなどから、辛うじて借りることができたのは当初予定の約10坪の半分の約5坪だけ。
そこに、あれこれと様々な野菜を少しずつ植えているため、背の高い支柱やネットが必要なトマトやキュウリ、それにゴーヤを植えた畝は幅90センチ足らず、長さは2メートルの1本だけです。

しかも、他の人たちが借りている区画の野菜と比べると、私が植えた苗たちの生育は今のところ思わしくなく、「支柱立て」などの作業はもう少し後にやっても良いようにも思えました。しかし、他の借り主の方々がほとんど定年後であるのに比べて私は一応まだ現役で、しかも土日の休みには旅行や家族サービスを優先させたいものですから、時間のかかる作業は、やれるときに一気にやっておくに越したことはありません。

トマトやキュウリ用の支柱は一般的には長さ2メートルか2.4メートルが適当とされていますが、私が支柱の「枠組み」に利用したのは先日、ホームセンターで注文して届けてもらっていた3メートルの竹。樹脂で被服した金属製なら2.4メートルもありましたが、高くて重たい資材を抱え込むのははばかられましたし、竹の自然な風合いが気に入って、1本100円足らずの竹を買い込みました。
竹の下の部分50センチほどは地中に差し込むものの、ひょろっとした感じの苗の上に、周りより背の高い支柱を立てるのは格好悪くも感じましたが、これなら地中部分が傷んでも切り取ってしまえることから、あえて短くしないまま使うことにしました。

その長さ3メートル、実際には2.5メートルほどの竹の支柱を畝の4隅と中央部分の両端に合わせて6本立てて、上部で対になる2本ずつを横に渡した竹で連結した上、縦方向にも4メートルの竹を2本渡して、写真のような枠組みを作りました。
4メートルの竹もやはり1本100円足らずで、100円ショップで売られている園芸資材よりも安いほど。せっかくなら、この長い竹を、そのままで生かすことにしました。

さらに枠組みの半分、キュウリやゴーヤを植えている部分には両面に専用のネットを設置。
トマトには短めの仮支柱を地面に立てた上、うまく育ってくれれば、縦方向に渡した竹からヒモを垂らして枝に結びつける「紐誘因」を試みる予定です。またキュウリやゴーヤにも仮支柱を立てて、ツルをネットまで誘い上げてやることにしました。

昔ボーイスカウトでロープやヒモの結び方に習熟していた私は、竹と竹を結わえる作業もお手のもの。
ネットも、昔バレーボールをしていたころのコートのネットを思わせるくらいにピンと張ることができて、わが支柱&ネットは、菜園の中で一番見栄えのするものになりました。

あとは、それなりに改良の努力はしたものの、まだまだ固くて、やせた感じの土や窒素不足が原因らしく葉の色が薄めで、ひ弱に見える苗たちが元気を取り戻してくれるのを願うばかりで、とりあえず本日は比較的速効性があると思われる有機肥料を苗の株の周囲にまいてやりました。

夕方前にバイク回収

泊まり勤務明けの本日は、ロードバイクに乗って帰宅する途中にプールにも寄ろうかと思いましたが、そうはいきませんでした。
といいますのは、勤務を終える直前になって、両親を京都の病院に連れて行く日だったことを思い出したからです。電車に乗って帰宅すれば、ちょうど間に合う時間だったため、ロードバイクは預かり所に置いたまま電車で自宅まで直行。車に乗って近くに住む両親をピックアップした後、京都まで往復し、再度帰宅してからまた電車に乗って大阪に戻りました。

自転車の回収は、休みをいただける明日にしようかとも思いましたが、何でも今できることを後のばしにすると、結局は損をしてしまうのが目に見えますので、眠たいのを我慢して重たい腰を上げることにしました。

BL170517バイク帰宅IMG_2922     BL170517バイク帰宅2IMG_2916     BL170517バイク帰宅3IMG_2920

BL170517バイク帰宅4IMG_2927  BL170517バイク帰宅5IMG_2923  BL170517バイク帰宅6IMG_2932

淀川の河川敷は、あいにくの向かい風でしたが、職場へと急ぐわけでもありませんので、へいちゃらです。
トレーニングのためと思えば、向かい風の方が「ありがたい」と考えることもできます。
それになにより本日は、傾きかけた太陽の斜光に照らされて、いつも見慣れた川沿いの風景がドラマチックな感じに見え、これもまた得したような気分でした。

また、普段は目には見えていても通り過ぎるばかりだった、クローバーやクサフジの花を、いったん停止してバイクにまたがったまま撮る余裕もありました。

堤防で、楽器の音色を響かせていたのは、ブラスバンドの練習をしていた女子中学生たち。
ここでもバイクを止めてカメラを向けながら手を振ると、「あ、写真!」と叫ぶ声が聞こえて、女の子たちは一斉にこちらを見てくれました。「ありがとう、じゃあね!」とあいさつして再びバイクに乗ると、後ろから「さようなら!」と叫ぶ声が追いかけてきて、こちらも何度か振り返って手を振りながら、こうした写真を道具にした、ちょっとした出会いの楽しさを感じていました。