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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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平成時代さようなら

天皇退位と新天皇即位、それに伴う改元に合わせて世の中は10連休の真っただ中ですが、私は昨日から5連勤に入り、平成最後なった本日も昼過ぎから夜まで仕事でした。
またうすら寒くぐずついた天気が続くためロードバイクに乗っての自転車通勤で平成を締めくくることもできず、帰宅時に撮った写真を掲載しておきます。

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ビジネス街のど真ん中にある職場の周囲は昼夜とも人や車はまばらで、職場から京阪電鉄・北浜駅に向かう途中にあるレストランも、いつもならテラスまでにぎわっているのに閑散として開店休業状態。
電車もガラガラで余裕で座ることができました。

そして最後の1枚は、玄関先で我が家を見上げて撮った写真。
最寄駅からの夜道も寂しかったのですが、子どもたちのいる温か家が待ってくれているだけで、10連休の最中に仕事をして、いつも以上に感じる疲れも軽くなるというものです。

振り返れば平成がスタートしたのは入社4年目、地方勤務2カ所目の仙台に赴任していたころで、平成時代は、来年定年を迎える私の会社勤め時代とほぼ重なります。
とはいえ、いまだに西暦の何年が平成何年になるかという計算をすることはできず、自分の出来事も世の中の出来事も西暦では何年だったかを記憶していても、それが平成何年だったかを意識することはないままでした。

それを思うと、私にとって元号を使っていたのは戦争をまたいで多くの歴史的出来事が元号とともに記憶され、かつ西暦との間の「換算」も比較的簡単だった昭和まで。今回の改元は仕事上では重大な関心事ではあるものの、自分にとっては、さほど大きな意味を持つものとは思っていません。

思い起こせば昭和の最後のころは天皇のご病状が毎日のニュースとなり、異変をキャッチするための取材として、皇族などの車の出入りなどをチェックするため、皇居の各門の前に多くの記者が寒空の下24時間詰め続けました。
地方勤務だった私にもその「門番」の仕事が回ってきて、地元での取材も年末年始の予定もすべてほったらかしてクリスマスから休みなしで過酷なシフトをこなすことになりました。

新年は半蔵門の屋外で迎え、東京タワーのライトアップが変わりゆくのを、凍えながら寂しく眺めていました。
「こんなばかげたことのどこが取材なのか」と若輩の記者として疑問に思ったものの、それを口に出すことははばかられ、そのときに天皇をいただく制度の不条理な部分を実感したものでした。

そして「こんなことがいつまで続くのか」と思い始めた1月7日、やはり半蔵門で寝ずの門番をしていた際に昭和天皇崩御の瞬間を迎え、皇族の方々の車が次々に皇居に入っていくのを目の前で見て、そのナンバーや社内に誰がいたかなどを連絡する仕事をこなしました。
その昭和最後の日は夜通しの勤務だったため早い時間に解放され、そもそも門番の仕事そのものがお役御免になったため、期限が決まっていなかった出張も終わって、確か平成初日の翌日に仙台に戻ったように覚えています。

そう、生前退位が実現して、ずっと前から予定されていた今回の改元と違い、昭和から平成への改元は遠からず訪れると皆が分かっていたものの、それがいつになるかは誰にも分らないまま突然に訪れました。
そして今回、新しい時代を迎えることをほとんどの人が祝い事として心待ちにしているのとは対照的に、天皇崩御の報に多くの人が悲しみに暮れ、世の中全体が喪に服して自粛ムードに覆われました。

その日の風景を目に焼き付けておこうと仕事を離れた私が皇居前を再び訪れると、多くの人が記帳をしようと集まってきていて、夕方に銀座に向かったところ、日本で最高にきらびやかなネオンがほぼすべて消え、田舎町のように真っ暗になっていました。

「お国のため」「天皇陛下のため」と国中が総動員されて戦争に突き進み、何百万人もが戦地での戦闘、空襲や原爆で命を落とした悪夢のような時代を経て、現人神であり国の元首から象徴へと役割を変えながらその務めを全うされた昭和天皇の崩御は、いろんな意味で1つの時代を画する一大事だったというわけです。

それに比べるとやはり今回の改元は、同じ代替わりで時代が新しくなるとはいうものの、昭和が終わった時に比べると衝撃的な出来事ではなく、平和の中で多くの人が明るく新時代を祝うことができるのは幸いですが、10連休の半分を仕事する身とすれば、どこか他人事のような感じがして、冷めて受け止めてしまう自分に気づきます。

ただ、とはいっても、平成の時代は日本こそ戦争に巻き込まれることはなかったものの、世界全体の平和や和解とはほど遠いままの状況が続き、国内では大きな災害が続きました。
そして、その被災地を慰問される天皇の姿が平成を振り返るニュースなどを見るたびに思い起こされ、退位される天皇がいかに象徴としてのご自身流の在り方を模索、実践されてきたかが分かります。今の天皇制の是非について論議もあるとしても、そのことについては頭が下がる思いがするばかりです。

また、「天皇の戦争責任」という言葉を普通に使い、真剣に考えた世代の私にとって、昭和天皇ができなかった戦地の慰霊訪問をされたことも平成天皇が昭和の時代のけじめを自らつけようと努力された真摯なお気持ちの表れだと思えます。
だからといって、今回の代替わりによって、いよいよ昭和の時代や戦争の記憶が過去へと葬り去られるものではなく、歴史は歴史としてその陰の部分も理解し、それを踏まえながら新しい時代を迎えたいものだと思うわけです。

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2年ぶりGWのBBQ

昨日は、大学時代に一時所属していた劇団「そとばこまち」のOBらによるゴールデンウイーク恒例のバーベキューが、劇団の後輩で駆けっこ仲間でもある宗明さんの大阪・吹田市の実家で開かれ、子ども2人を連れて出かけました。

昨年は来日した韓国の仲間の観光案内で欠席し、2年ぶりとなった今回は、このところ電車が大好きな息子の強い希望を受け、京阪電車と大阪モノレールを乗り継いで会場へ。駅の前後を独りで歩き、自分で食事ができるようになった娘も、一人前な顔をしている息子も、宗明さんのお母さまから「大きくなったわねえ」と感心されることしきりでした。

そんな2人は私が飲んでいる間、自分たちで広いお庭を走り回ったり、近くの公園に連れて行ってもらったりして、確かに以前より手がかからなくなりました。それでも私が三脚とセルフタイマーを使って撮った集合写真では、なかなか前を向いてくれませんでした。

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鯉のぼり、ナナちゃん

うどんを食べに名古屋に出かけた昨日、食事の後は端午の節句を控えて、やはり愛知名産である鯉のぼりの店を巡り、名古屋駅前のシンボル「ナナちゃん(人形)」も見てきました。

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名古屋郊外の岩倉市で立ち寄ったのは鯉のぼりを手作りする旗屋さん。店の裏手の五条川そばでは手染めの立派な鯉のぼりが強風を受けて泳いでいました。

名古屋時代、両岸に桜並木が続く五条川を花見がてらにランニングで訪れた際に見た、鯉のぼりの柄を染めた木綿の布を川で洗う「のんぼり洗い」が印象的で、その作業をしていたのがこの旗屋さんでした。本格的な鯉のぼりは超高価なため、店では予定通り鯉のぼりを描いた手染めのタペストリーと、自分と子ども2人おそろいの鯉のぼり柄のはんてんをゲットしました。

実はそれに先立ち、うどん屋さん近くの人形店をのぞいたところ、息子にせがまれて量産している手頃で小ぶりな鯉のぼりを注文。旗屋さんの鯉のぼりも2倍ほどの値段を張り込めばミニサイズなら買えたため少し後悔しましたが、「大きいのを買ったよ」と息子が喜んでいますので良しとします。

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日帰りの名古屋訪問では、閉店する懐かしの手打ちうどん屋さんを訪ね、鯉のぼりの店を見て回るという私の都合に付き合わせただけで、動物園やテレビ塔など子ども向けの名所に行く時間はありませんでした。

その代わり帰りがけに立ち寄ったのが知る人ぞ知るナナちゃん。名鉄百貨店の別館わきの通路に立つ高さ6メートル、重さ600キロのスイス生まれのマネキンで46年前、かつてセブン館と呼ばれた別館の開館1周年を記念して設置され、セブン=7をもじって名付けられました。
季節ごとに着替えをするナナちゃんは名古屋人には見慣れた存在ですが、駅前の再開発に伴って存続が不透明になっているとのニュースを知り、久々に見に行きたくなったというわけですが、子どもたちも巨大なナナちゃんを見上げ驚きかつ喜んでくれました。

合わせて掲載したのは、うどんを食べた後、鯉のぼりを注文した人形屋さんまで歩く間に通った昭和の雰囲気が漂う円頓寺(えんどうじ)商店街と、それに続く通りが運河の堀川を渡る五條橋からの眺め。いずれもやはり懐かしい景色です。

おか茂、さようなら

世間は10連休ですが私は仕事柄、休めるのが前半の2日と後半の3日の計5日だけ。
そんな前半の連休初日となった本日は息子と娘に付き合ってもらい、なんと新幹線に乗って名古屋に手打ちうどんを食べに行きました。

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向かったのは名古屋名物のカレーうどんが美味しい老舗の「おか茂」。
6年前までの名古屋時代、昼休みに職場から歩いて通った店ですが、ご主人が体調を崩し一昨日を限りに店を閉めると知人から聞いて、子ども2人と過ごす予定だったため駆けつけました。新幹線に乗りタクシーを飛ばして店の前に来ると、開店直後なのに15人ほどが並んでいましたが、なんとか入れました。

店には私の写真集を置いてもらい、お年賀の焼酎をいただいたこともあっただけに、ご主人らにごあいさつできて一安心。
一緒に並んだ常連さんと「名古屋で一番」と話した懐かしの味は記憶のままで、普通のうどんを頼んだ子どもたちも「美味しい!」と満足してくれましたが、名古屋におか茂がなくなるのは寂しい限り。後を継ぐ人が出てきてくれないものかと願うばかりです。

春の菜園の香味野菜

泊まり勤務明けの本日は当初、ロードバイクで少し遠回りをして生駒山地の峠を越え、ヒルクライムのトレーニングをして帰宅しようと目論んでいましたが、ちょっとしたトラブルのため計画通りにすることができませんでした。
といいますのも、昨日夕方に家を出る前に取り付け位置を調整していたシューズのソール前足部にある、ペダルと連結するビンディングの金具「クリート」のネジが1つ、走行中に落ちてしまったためシューズをペダルから外すことができなくなってしまったからです。

左右のクリートは2つずつのネジでソールに付けていますが、そのうち右の片方が落ちたため、シューズを右にねじって外そうとしても残っているネジの部分が回るだけで、にっちもさっちも行かなくなったのです。トラブルに気づいた大阪・鶴見区の鶴見緑地公園近くで大きめの自転車屋さん3軒を回りましたが、いずれもスポーツ車の扱いがわずかなためクリートの取り置きはなく、仕方なくシューズを蹴飛ばしてなんとか外したうえ、右足だけペダルを裏返してビンディングを使わず、だましだまし走行。
もちろん、そんな状態で峠越えなど自殺行為ですので第二京阪国道沿いの自転車道を通って家路に就き、自宅に近い行きつけの自転車屋さんでクリートのセットを購入することができました。

昨年末、テレビニュースの企画に協力して寝屋川市のフレームビルダーで「お客役」として出演した際、大阪府の国体の監督も務められたご主人にクリートやサドルの位置を調整してもらっていたものの、それに合わせたハンドルの調整は部品が見つからないためできず、結果的に過剰な調整量になってしまっていました。昨日はそれを自分で少し戻したわけで、いずれも数ミリの再調整によって格段に乗りやすくなったのですが、ネジをきつめに締めなかったため予想外に重大なトラブルになりました。
自転車屋さんによると、クリートのネジがサイクリング中に落ちるトラブルは多くの自転車乗りが経験するものの、1度経験しないことにはネジをきつく締めることや、予備のネジを持ち歩くことの重要性には気づかないとのこと。
まあ今回は山道に入る前だったのが不幸中の幸いと言え、せっかくですので新しいクリートを取り付けたうえ、古いクリートのネジ3本は予備に持ち歩くことにしようと思います。

※※※

というわけで、ネジが外れたクリートの写真も撮るには撮りましたが、あまりおもしろくありませんので、また夕食のテーブルに並ぶ、家庭菜園の収穫を使った料理の写真を掲載します。
メインのネタは香味野菜。オマケは連日のように紹介しているエンドウ豆です。

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塩ゆでのチキンと野菜を合えたサラダに、サラダ菜とともに入っていたのは、花が咲き始めたものの柔らかい葉先をまだまだ大量に収穫できそうなパクチーと、ようやく葉が伸びて少しずつなら収穫でき始めたミツバ。
パクチーの葉はふつう、切れ込みのあるミツバのような形ですが、花をつけようとして伸びる茎の先端近くの葉は細くでニンジンのようです。ミツバは露地植えとあって、スーパーで売られる水耕栽培のもののように濃い緑ではありませんが、山の林道わきなどに生える野生のものと似て、香りも山のミツバのように格別です。

パセリは畑の何カ所かに根付いた株が冬を越して2年目を迎えていますが、こちらはセロリ同様に花が咲いたり枯れたりする気配がなく、引き続き食卓を飾りつづけてくれそうで、本日は串カツの付け合わせになりました。
そしてエンドウ豆は依然として毎日収獲をしなければならず、うれしい悲鳴を上げてしまいそう。さっとゆでて口に運ぶとえも言えず甘いのですが、さすがに子どもたちは少々飽きてきたのか食いつきが悪くなり、そろそろ調理法に工夫が必要になってきたようです。