
東京夢舞いマラソンとの交流が10年目を迎えた韓国のコチャン・コインドルマラソンが本日開かれ、私は10年前に1人でコチャンを初訪問して以来、ヒザの故障で走れなかった1回を除き10回目の出場でした。
昨日の記事で紹介した通り、日韓関係が悪化しているなか一緒に参加してくれたのは、3年前に続いて2回目となる夢舞い事務局次長のお富さんと千由起さん、お2人と同じ夢舞い救護班で初参加の智美さん。それに夢舞いを後援してくれるスポーツ寿苑(ジュエン)社長で韓国出身の鄭貞子さんも初めて仲間に加わってくださいました。
あいにくの雨の中のスタートとなりましたが、鄭さんは5キロ、救護班のお3方はハーフを見事完走。ただ練習不足にかかわらず鯉のぼり柄の法被姿でフルに臨んだ私は、法被がぬれたことによる寒さもあって体調が悪くなり30キロ手前で自主的にリタイア。
100回近いフルマラソンで初の失態となりショックでしたが、折り返しコースのため各エイドの写真は一通り撮れたうえ、ハーフの女性陣のゴールもおさえることができて良かったようにも思っています。

今回も昨年の大会を走りながら撮った写真を、夢舞いの写真と抱き合わせにして15枚ずつを参加ランナーらに見てもらうミニ写真展を会場で開きました。
ただ今年の夢舞いは台風の影響で中止となったため、夢舞い分は昨年の大会の写真を再掲載しました。とはいっても、昨年とそっくりそのままも芸がありませんので、今回のツアーに参加してくれているお富さんら救護班の3人が写った写真を含めて15枚中6枚を差し替えることにしました。
白い布を張った大きな掲示板に合計30枚の写真を貼り終わり、その前で撮った写真に入ってくれたのはコインドルマラソン同好会会長のパク・ウルクさんと、10年前に私が初めてコチャンのランナーに東京で会った際の1人である元会長で地元の寺院・蓮華寺(ヨナサ)住職のスーニム(お坊さん)、フォン・ドミョンさん。それにコチャンに近いクンサンのマラソンの事務局長で、私が3年前にサブフォー(4時間内)で走った際にお世話になったムン・ジョングさんも、クンサンの広報をするため来場されていたため私の横に並んでくれました。

スタート前から雨が降ってきたため、世界遺産コインドル(支石墓)群の時代をイメージした原始人スタイルの手作りユニフォームがトレードマークであるコチャンのランナーたちのほとんどが普通のランウエアと雨具に着替えるなか、ウルクさんだけは夢舞いを走ってくれた時と同じようなユニフォームに身を包み、私とのツーショットなどに応じてくれました。
私もご覧の通り、子どもの日を前に手染めの鯉のぼりの産地、愛知・岩倉で買ってきた鯉のぼり柄の綿の法被でスタート。
レインポンチョを持ってくるのを忘れたため、千由紀さんにいただいたゴミ袋製の簡易レインウエアをかぶったものの、結局のところ全身ずぶぬれで重たく寒くなり、途中棄権の大きな要因となってしまいました。
とはいえ、ハーフの折り返し点を過ぎるあたりまではなんとか走り続けたうえ、給水所で誘われるままにマッコリもいただきながら写真も撮れました。その後はハーフで待ち構えてくれていてジョンマンさんが、車に乗って要所要所で現れて「まだ走れる?」と聞いてくれたため、いよいよ動けなくなった30キロ手前ですぐに拾ってもらうこともできました。


暖かい車の中で元気を取り戻し、会場ですぐに着替えると、ちょうどハーフでスローなファンランを楽しまれたお富さんら3人のゴールに間に合い、ジョンマンさんや奥さまのジョンスクさんとともに3人を迎え、ゴールシーンもおさえることができたというわけです。

ゴール後には、会場で振る舞われる韓国風雑煮のトックックもいただいてさらに生き返り、温泉ですっかり温まった後は、数年前ジョンマンさんのお父さまが亡くなった際の49日法要が行われた郊外の山麓にある微笑寺(ミソサ)を訪問。
これまた暖かく香り高い韓国茶をごちそうになり、ほっこりとしました。
昨日の記事で紹介した通り、日韓関係が悪化しているなか一緒に参加してくれたのは、3年前に続いて2回目となる夢舞い事務局次長のお富さんと千由起さん、お2人と同じ夢舞い救護班で初参加の智美さん。それに夢舞いを後援してくれるスポーツ寿苑(ジュエン)社長で韓国出身の鄭貞子さんも初めて仲間に加わってくださいました。
あいにくの雨の中のスタートとなりましたが、鄭さんは5キロ、救護班のお3方はハーフを見事完走。ただ練習不足にかかわらず鯉のぼり柄の法被姿でフルに臨んだ私は、法被がぬれたことによる寒さもあって体調が悪くなり30キロ手前で自主的にリタイア。
100回近いフルマラソンで初の失態となりショックでしたが、折り返しコースのため各エイドの写真は一通り撮れたうえ、ハーフの女性陣のゴールもおさえることができて良かったようにも思っています。



今回も昨年の大会を走りながら撮った写真を、夢舞いの写真と抱き合わせにして15枚ずつを参加ランナーらに見てもらうミニ写真展を会場で開きました。
ただ今年の夢舞いは台風の影響で中止となったため、夢舞い分は昨年の大会の写真を再掲載しました。とはいっても、昨年とそっくりそのままも芸がありませんので、今回のツアーに参加してくれているお富さんら救護班の3人が写った写真を含めて15枚中6枚を差し替えることにしました。
白い布を張った大きな掲示板に合計30枚の写真を貼り終わり、その前で撮った写真に入ってくれたのはコインドルマラソン同好会会長のパク・ウルクさんと、10年前に私が初めてコチャンのランナーに東京で会った際の1人である元会長で地元の寺院・蓮華寺(ヨナサ)住職のスーニム(お坊さん)、フォン・ドミョンさん。それにコチャンに近いクンサンのマラソンの事務局長で、私が3年前にサブフォー(4時間内)で走った際にお世話になったムン・ジョングさんも、クンサンの広報をするため来場されていたため私の横に並んでくれました。



スタート前から雨が降ってきたため、世界遺産コインドル(支石墓)群の時代をイメージした原始人スタイルの手作りユニフォームがトレードマークであるコチャンのランナーたちのほとんどが普通のランウエアと雨具に着替えるなか、ウルクさんだけは夢舞いを走ってくれた時と同じようなユニフォームに身を包み、私とのツーショットなどに応じてくれました。
私もご覧の通り、子どもの日を前に手染めの鯉のぼりの産地、愛知・岩倉で買ってきた鯉のぼり柄の綿の法被でスタート。
レインポンチョを持ってくるのを忘れたため、千由紀さんにいただいたゴミ袋製の簡易レインウエアをかぶったものの、結局のところ全身ずぶぬれで重たく寒くなり、途中棄権の大きな要因となってしまいました。
とはいえ、ハーフの折り返し点を過ぎるあたりまではなんとか走り続けたうえ、給水所で誘われるままにマッコリもいただきながら写真も撮れました。その後はハーフで待ち構えてくれていてジョンマンさんが、車に乗って要所要所で現れて「まだ走れる?」と聞いてくれたため、いよいよ動けなくなった30キロ手前ですぐに拾ってもらうこともできました。






暖かい車の中で元気を取り戻し、会場ですぐに着替えると、ちょうどハーフでスローなファンランを楽しまれたお富さんら3人のゴールに間に合い、ジョンマンさんや奥さまのジョンスクさんとともに3人を迎え、ゴールシーンもおさえることができたというわけです。



ゴール後には、会場で振る舞われる韓国風雑煮のトックックもいただいてさらに生き返り、温泉ですっかり温まった後は、数年前ジョンマンさんのお父さまが亡くなった際の49日法要が行われた郊外の山麓にある微笑寺(ミソサ)を訪問。
これまた暖かく香り高い韓国茶をごちそうになり、ほっこりとしました。
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