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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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国宝松江城、宍道湖

定年を前に初任地の群馬でお世話になった方々を訪ねる一人旅は本日が最終日で、夕方に出雲空港から大阪空港に飛んで6日ぶりに帰宅しました。
最後に会いたかった隆子さんとは昨日のうちにデートをすることができましたので、本日は旅行中初めてまるまる独りで動き回ることになり、かねて島根に来る機会があればぜひ見たいと思っていた国宝の松江城を見学。シジミが豊富なことで有名な宍道湖畔も回ってドライブしました。

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江戸時代の1611年(慶長16年)に完成した松江城は、全国で12城だけが残る現存天守の一つであり、姫路城や犬山城など4城と並ぶ国宝に5年前指定されました。
コロナ禍にあって、松江城でも天守に入場する際には検温やアルコール消毒が義務付けられ、それらを入口わきのテントで済ませた後、マスクをしてディスタンスを気遣いながら一方通行で内部を見学します。

飴色に光る床を踏み、太い柱など無垢材で組まれた天守の内部は見事で、最上の5階まで来ると、宍道湖や松江市内の眺めも圧巻でした。

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これまでの旅では、今朝までモーニング以外のランチ、夕食のすべてはお世話になった人らとの会食でしたが、本日のお昼だけは独りでいただきました。
といいましても、さほどのんびりしている時間もありませんでしたので松江城の売店でおにぎりを買って、出雲へと戻る途中の宍道湖畔の道の駅に立ち寄り、そのわきの湖岸でベンチのような流木に座っていただくことにしました。

ここまで来ると、もう心はわが家に向き、道の駅で採れたてのシジミなどを買った後、ブドウの産地・出雲の「島根ワイナリー」にも立ち寄って、できたての濁りワインの白とロゼも買い込みました。

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初めての島根・出雲

来月8日の還暦・定年を控え、初任地の群馬でお世話になった人たちを訪ねる一人旅は残すところあと2日となり、本日は東京から飛行機に乗って大阪を飛び越え、島根県の出雲にやって来ました。
新米記者として前橋に赴任して1年目の1985年、日航ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落し、乗員乗客524人のうち奇跡的に助かった生存者4人のうちの1人、川上慶子さんの取材を担当したことは先に話しました。実はその当時慶子さんに付き添い、直接の取材に応じてくださった叔母さま2人のうちお一人の隆子さんがお元気でいらして、旅に出る直前に連絡が取れ、お会いすることになったのです。

何を隠そう島根は人生60年近くの間、47都道府県で唯一足を踏み入れる機会を逸していた場所。隆子さんにそのことも話したところ、一度は訪れてみたいと思っていた出雲大社などを案内してもらうデートに誘っていただき、急きょ航空券やホテル、レンタカーの手配をして旅の締めくくりをさせてもらいました。

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東京・羽田から出雲までは空路でわずか1時間半ほど。事故で両親や妹を亡くした慶子さんらが大阪ではなく出雲に直行されていればなどとも思いますが、時計の針を戻すことはできません。

事故の少し前に長く住まれた奈良から出雲に戻られた隆子さんのお姉さま、悦子さんは当時大阪にいらして、私は彼女とは帰省の際に会っていましたが、隆子さんと再会するのは事故の時以来でした。取材で心を開いてくださったとはいえ、事故を振り返るのはつらいことでもありますので、叔母さま方とは長らく連絡を取ろうとすることも控えていたのですが、やはり定年の節目が近づくな中で、お元気だと分かった隆子さんにはあらためてごあいさつしたいという気持ちが大きくなり、旅行を前に人づてにその旨をお伝えしていました。

そして何日かが過ぎ、やはり今さら私に会おうなどとはしてくれないようだと思っていたところ、群馬に向けて家を出る直前にご本人から電話がありました。「ああ、あの辰巳さんね。いつでもいらして」と話す張りのある声は当時のまま。うれしくなった私は初め、来月以降に出直すことも考えましたが、やはり御巣鷹の尾根に登って、その足で報告も兼ねて出向くのが筋だと思い、東京での日程を変更して出雲に飛ぶことに決めたのです。

隆子さんと待ち合わせをしたのは郊外にある出雲そばのレストラン。
名物の割子そばも新鮮な刺身も絶品で、話を聞きながら勢い良く食べる私の様子を見た隆子さんは、3枚のそばのうち2枚を分けてくださいました。

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食後に隆子さんの「箱バン」を置きに行ったのは、数年前に亡くなったご主人の後を継いで続けてられるブドウ農園。
シャインマスカットの収穫はほぼ終わっていましたが、ハウスのそばにあるハクサイやダイコンなどの菜園も案内してもらい、野菜栽培をめぐる談義にも花が咲きました。
思えば、前橋で再開した百ちゃんも渋川の克己さんも自宅で家庭菜園をしてられ、この数年来マラソンやトライアスロンに加えて野菜作りが趣味になった私は、なんだか不思議な縁を感じてしまいます。

私の借りたレンタカーで次に行ったのは、既に廃線になったJR出雲線の終点・旧大社駅。
高校時代に毎日この駅を利用したという隆子さんは、当時時計を持っていなかったものの、決まった時間に響く汽車の汽笛を聞いて家を出る準備をしたなどという思い出話をしてくださいました。

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そしてデートのメインスポットは出雲大社。
一度は来てみたいと思っていた出雲大社への参拝がこんな形で突然実現するとは、なんという幸運でしょうか。境内にある会館は隆子さんが結婚式を挙げた場所だということで、その前で写真を撮らせていただきました。

出雲大社の後は、国引き神話ゆかりの稲佐の浜の夕景も楽しみましたが、隆子さんはなんとさらに私のホテルと同じ出雲駅前の海鮮料理の店で夕食もお付き合いしてくださいました。
私だけがお酒をいただいて気持ち良くなってしまったこともあり、その写真はないのですが。

しばしさよなら上州

定年を前に初任地の群馬県でお世話になった人たちと再会して回る一人旅は4日目を迎え、本日は朝方に前橋市の中心部をジョギングし、後輩の若者にランチを付き合ってもらった後、懐かしの地を離れて上京しました。

東京に長く住んだ際には、群馬にはすぐに行けるからなどと考えながらなかなか足が向かず、名古屋や大阪からも東京までは何度も行きながら足を伸ばす機会をつくれませんでした。しかし懐かしの上州の地はやはりまぎれもなく私の第2の故郷で、今でも暖かく迎えてくれる人たちもいます。今回ようやく再訪できたとはいえ、わずか数日の滞在となりましたが、また遠からず今度は家族も連れて訪れたいものだと思っています。

東京では、コロナ禍でしばらく会えなかった駆けっこ仲間たちとも再開を果たしましたが、実は今回の旅はこれで終わりではなく、明日は大阪を飛び越してまた次の目的地へと向かう予定です。

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前橋駅前で3日前に続き昨夜もホテルからは、黒井峯遺跡に軽石を降り積もらせた榛名山と並ぶ上州のシンボル、赤城山が見えました。東京時代に駆けっこ仲間のジダンさんと一緒にトレランの大会で走った赤城山は一昨日、白い雲がかかっていましたが、本日は秋晴れの空の下で稜線がくっきりと見えました。

ホテルのモーニングは洋風の簡素な内容でしたが、スープ代わりに平たい麺を短くして入れた上州名物の「お切りこみ」も出され、懐かしく味わいました。

利根川を見ながら後輩とランチを食べ群馬事情をさらに聞いた後は、今もわが社の支局が間借りをしている上毛新聞に近い新前橋駅から両毛線に乗って隣町である交通の要所・高崎へ。一旦下車してお土産を買い込んだ後は往路と同じく新幹線に乗って東京へと向かいました。

東京では、かつてカンボジア時代以来の友人である韓国人のジェームズと一緒に入ったことのある飯田橋駅前の外堀に面した「カナルカフェ」で明走会の駆けっこ仲間らと集合。先月まで高崎勤務で、今回はニアミスとなった文さんも駆けつけてくれました。
このカフェはコロナ禍でも窓際のテーブルなら思うように換気ができそうなため私が予約。その目論見通り、テラスに続く窓を開けると涼しい風が勢い良く吹き込んで、理想的な環境でした。仲間の多くは、在宅勤務が続くなどして外でお酒を飲みながら食事をするのが久々だったということで、ここでも私が会う機会を逸していた人たちを呼び寄せる役を果たしたようです。

御巣鷹の尾根、前橋

定年を前に初任地の群馬県を訪ねる旅の3日目となった本日は、昨夜泊った上野村で、35年前に520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故の現場である御巣鷹の尾根に登った後、再び前橋に戻り、駆け出し記者時代に県警や記者クラブでお世話になった方々と再会しました。

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上野村農協の組合長、清隆さんに予約をしてもらい、ご家族らと一緒に酒宴を楽しんだ旅館を後にした私は、紅葉が真っ盛りで燃えるように色づき、息をのむほどきれいな山に入り、標高1560メートル余りの御巣鷹の尾根に登りました。

1985年8月12日、乗員乗客524人を乗せて羽田から大阪へと向かった日航123便のジャンボ機は夕暮れ時に長野との県境に近いこの山に墜落し、わずか4人の生存者を残して520人の犠牲者を出すという史上最悪の航空機事故となりました。お盆の時期とあって入社・赴任後4カ月だった私は大阪に帰省し、実家でビールを飲みながらテレビで「日航機が行方不明」のテロップを見ました。
山が好きで4輪駆動の愛車・初代ジムコに登山靴を積んでいた私は、前橋にいれば現場への一番乗りを果たせたはずでしたが、残念ながらそうはいかず、翌日朝一で群馬に戻った後は生存者の1人、川上慶子さんを担当。報道各社の中で唯一、付き添いの伯母さま2人から直接話を聞かせてもらうことができ、先輩に手伝ってもらうなどして書いた記事は、地元紙をはじめ全国各紙に大きく掲載してもらうことになりました。

ジャンボ機は私の故郷の大阪に向かっていたとあって、犠牲者の中には中学高校の同級生の弟や学生劇団の後輩のお父さんも含まれました。また取材の足場になった麓の藤岡市には、次々に犠牲者の遺体が運ばれるとともに遺族たちも集まり、毎日早朝から夜中まで続いた取材では自分も涙でぐしょぐしょになりながら歩き回りました。
そんな中、12歳の中学生で自らもそばで両親や妹を亡くしながら健気に前を向こうとされていた慶子さんの様子には、自分自身も励まされました。彼女の話は事故原因の解明につながる貴重な証言であると同時に、悲惨な事故の報道に触れる多くの人にとってもわずかな光になるはずだと思い、その気持ちを伝えられたため叔母さま方も心を開いてくださったのだと思っています。

ともあれ、藤岡の前線基地で先輩方から「共同ジャンボ」と呼ばれた私はその後、海外赴任をしたかと思えばテレビ局に出向するなど事故機さながらに「迷走」する記者人生を歩みましたが、その原点とも言える上州の地を訪れることで今後の第2の人生に向けて少しでも気持ちを整理してみたいと思った次第です。

御巣鷹の尾根には何度となく登っていますが、紅葉の時期は今回が初めて。遺体が見つかった登山道わきのあちこちに立てられた墓碑や尾根上の「昇魂の碑」をたずねると、また涙がこみ上げてきて手を合わさざるを得なくなりましたが、紅葉の美しい景色は、ここで永遠の眠りについた犠牲者らの魂を慰めてくれるような気もしました。

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山から下りると、昨夜も家族とともに付き合ってくれた清隆さんが、当時わが社が上野村の前線基地にさせてもらった特産品販売所の場所にある道の駅で、ランチに誘ってくれました。
道の駅は以前とは違って内装もお洒落で、平日であるにもかかわらず観光に来た多くの人たちでにぎわっていましたが、名産の「十石みそ」やイノブタの肉など昔ながらの土産物も並んでいました。とはいいましても、農協組合長である清隆さんはイノブタ丼をおごってくれたうえ、ずっしりと重たい名産品セットの箱もお土産に持たせてくれ、私は彼と別れた後、村のJAマートでさらに幾つかの品を購入して一緒に宅配で大阪の自宅に送らせてもらいました。

前橋に戻り、一昨日と同じ駅前のホテルに再びチェックインするに先立って立ち寄ったのは、私が3年間住んでいたアパート。当時は新築物件だったので今や築35年となりますが、外装が補修されているためか外観は大きく変わっていませんでした。
ただ、市街地の外れにあったアパートの南側は春には一面の麦畑、夏には田んぼでしたが、今や家が立ち並んでいました。かつて当初青々とした麦畑は6月になるとチョコレート色に変わり、麦わらを焼いた後に水が満たされて田んぼになると、大量に発生した小さなカエルがアパートの階段を登ってきて、踏まずに通るのが難しいほどでしたが、今はそんな風景は見られないはずです。

夜の宴に集まってくれたのは、県警の広報だった石さんのほか、上毛新聞幹部で当時は私と県警クラブ詰めで同期だった直樹さんや、元幹部で継続雇用の今はカメラマンに戻られた徹さん、それに群馬テレビ幹部の克己さん。
石さんは私の3カ所目の赴任地だった札幌にご夫婦でいらしたほか10年前の銀座の写真展にも来てくれました。徹さんも2カ所目の仙台で、克己さんは前任地の名古屋で一緒に飲むなどしています。直樹さんとは離任後初めての再会でしたが、彼の先輩で著名な作家の横山秀夫さんらと一緒にランチを食べに出たことが忘れられません。当時流行っていた激辛カレーのレストランに行った際には、私たち1年生2人が一番辛いカレーに挑戦するよう横山さんにけしかけられ、顔を真っ赤にしてギブアップした直樹さんが「‘子会社’の記者に負けるな」と甲高い声で叱咤されたのですが、本日聞いてみると直樹さんはその場面を覚えてられませんでした。

ともあれ、突然押し掛けた私を囲んでくれた皆さんは久々に顔を合わせる人同士もおられ、「辰巳のおかげで懐かしい面々と集まれたよ」と感謝もされながら、4時間近くにわたって大いに盛り上がりました。さらに、体調を崩してしばらく節酒していたという徹さんが2軒目を誘ってくれ、私自身も久々の午前さまに突入してエンドレスで楽しい夜を過ごすことができました。

黒井峯から上野村へ

定年を前に、初任地の群馬県で世話になった方々を訪ねる旅の2日目となった本日は、火山噴火による軽石に古墳時代の村が埋もれた跡が見つかり、日本のポンペイと呼ばれた渋川市の黒井峯遺跡に立ち寄った後、日航ジャンボ機墜落事故の現場となった上野村にやって来ました。

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榛名山の噴火により短時間で積もった軽石に埋もれ、当時の地表面ばかりか建物の壁や垣根といった立体的な遺構までもがパックされた形で見つかった黒井峯は、私が群馬に赴任した1980年代半ば以降の考古学界で最も注目を集めた遺跡の一つです。
初めは全国紙の元旦紙面で大きく取り上げられましたが、その後は少年時代に考古学ファンで大学でも歴史学を選考した私が足しげく通った結果、節目ごとの成果を他のマスコミをリードする格好で書き続けることができました。

黒井峯は、昨日紹介した高崎映画祭とともに事件事故取材の合間に通ったいわば息抜きの場所の一つだったわけですが、立体的に残った遺構を上から流し込んだ樹脂で固めて断面をそのまま取り出す方法を「立体発掘」と名付けるに当たって担当者と一緒に私も話し合いに加わるなど、ここでも仲間の一人にさせてもらっていました。

忘れもしないのは、ある日の朝、詰めていた県警記者クラブに出勤する前、発掘作業をされていた地元の女性から私の家に電話があり、「辰巳さん、すごい物が出たからすぐ見にいらっしゃい」と伝えてもらったこと。駆け付けてみると水晶とヒスイでできた見事な首飾りが発掘されたばかりで、私がカラー写真付きで送った記事はその翌日、地元紙などに大きく掲載されました。本日、市の文化財展示室を訪ねたところ、まさにその首飾りがガラスケースの中で輝いていて、感慨がひとしおでした。

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その懐かしの黒井峯遺跡を訪ねた会ったのは、発掘の成果を報告書や書籍にまとめ、今も市の文化財調査委員を務められる石井克己さんと、彼と一緒に調査を中心になって進められた市中央公民館勤務の長谷川福次さん。
お二人とは昨夜の前橋に続き、遺跡に近い渋川市内のイタリアンレストランで食事をするなどして、その後の発掘・研究の成果や今の県内・市内の様子などをあれこれとうかがいました。

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そして渋川を背に一路向かったのは長野県境に近い山間地域の上野村です。
ただ、渋川を出る前にもう1カ所立ち寄ったのは、つい最近まで30年間にわたって乗り続けた愛車ジムコを購入した遺跡近くのバイクと車の店、池田モーターズ。80代にしてハーレーダビッドソンのバイクを乗られるご主人の伸也さんは、かつて私がカンボジアに赴任した際、ジムコを1年数カ月にわたり引き取って保管してくれるなど世話になっていました。残念ながら今回、以前のように事前の連絡なく顔を出したところ、ご本人は健康診断のため留守中でしたが、上野村に向かう山道でレンタカーを運転していた際に電話がかかってきて「会いたかったなあ」と話してくれました。

上野村では、墜落事故当時、私の勤める通信社が拠点に使わせてもらった特産品販売施設の管理人で、今や村農協の組合長をされている黒沢清隆さんやそのご家族、施設で働いてられたチエコさんと、清隆さんが予約してくれた旅館の座敷で一緒にささやかな宴会を開かせてもらいました。

清隆さんとは、事故から20年の15年前、慰霊登山を映像取材した際にご自宅のコンピューターと回線をお借りするなどしていましたが、チエコさんとは高崎映画祭の百ちゃんと同じく30数年ぶりの再会でした。
ただ、私は群馬を離れる際、お世話になった百人近くの方々にあいさつ回りをすると同時に一人ずつの写真を撮らせてもらったうえ、自ら大きくプリントしたそれらの写真を次の赴任地だった仙台からお送りしていて、なんとチエコさんは大事にとっていたその写真を本日の宴に持ってきてくれました。