FC2ブログ
“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

最新トラックバック

カレンダー

10 | 2020/11 | 12
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

月別アーカイブ

FC2カウンター

全記事表示リンク

世界遺産古墳巡り5

本日からはまた新しい一週間が始まりました。ほぼカレンダー通りに仕事をする生活ははや1カ月になろうとしていますが、ペースはまだつかみきれず、自転車通勤は休止したまま。ランニングの時間を工面することもできていませんが、毎朝駅に行くまでは猛ダッシュ。昼休みの外出時間も30分足らずしか捻出できていないものの、仕事の服を着たままでの小走りを交ぜたウオーキングだけは続けています。

掲載するのは既に二つ前の日曜のこととなりましたが、世界文化遺産の古市古墳群をマラニックした際の写真アルバムの最終5回目です。
といいましても、この日に巡った古墳のほとんどは前回までに紹介していて、今回はランチ休憩をした近鉄・古市駅前から石川、大和川沿いに出て、最後に一つだけ残した古墳群最北端の津堂城山古墳へと向かい、ゴールの藤井寺駅前までに撮った9枚。そのうち古墳の写真は1枚だけです。

BL201122古市古墳群5-1IMG_0289 BL201122古市古墳群5-2IMG_0297 BL201122古市古墳群5-3IMG_0295

古市駅前には、ちょうど私たち5人が座ってお弁当タイムをとるのにぴったりのドーナツ状のベンチがありましたが、そこの写真は撮っていません。
代わりに掲載するのは駅の手前で立ち寄ったパン屋さんの写真。ご覧の通り、棚には前方後円墳の形をした断面の食パンや埴輪を模した菓子パンが飾られています。実はこれらはサンプルで、実際には食パンは売り切れていましたが、私はおにぎりを持参していたものの、せっかくですので埴輪型ではないふつうのジャムパンを一つデザートに買い込みました。

ランチまでは数多くの古墳を巡って休み休みジョギングしたため、ほとんど走った感じがしないほどでしたが、食後は川沿いに出て8キロほどを一気に走りました。
いくら景色を楽しみながら走るマラニックとはいっても最初から最後まで休み休みだと充実感がないからと、コースを設定してくれた新さんが気遣ってくれたわけで、おかげで深刻な運動不足に陥っている私としては実に気持ちよく汗を流すことができました。
石川から大和川沿いに出て、いったん橋を渡る際にはラクダのような二上山の稜線がきれいに見えました。

私は中学1年のときまで大和川の河口に近い大阪市南部に住んでいて、当時の自宅から近かった百舌鳥古墳群には自転車で何度も出かけました。その一方で、古市古墳群までは足を伸ばす機会がありませんでしたが、小学6年のころ一度だけ中流域のこのあたりを通って奈良県側までサイクリングしたことがありました。もちろん半世紀後に60代になった自分が、同じ川沿いを走っているなどと想像すらせずに。

BL201122古市古墳群5-4IMG_0300 BL201122古市古墳群5-5IMG_0314 BL201122古市古墳群5-6IMG_0303

BL201122古市古墳群5-7IMG_0312 BL201122古市古墳群5-8IMG_0320 BL201122古市古墳群5-9IMG_0321

墳丘の長さが210メートルの津堂城山古墳は、長持形石棺や水鳥型埴輪が見つかったことで知られていますが、その外観は雑木に覆われた丘で、ここも赤や黄に色づいた木々が交じって秋もようでした。
ゴールの銭湯に向かう際に通った近鉄・藤井寺駅前のアーケード商店街には今も、古墳群の世界遺産登録を祝う大きな幕が下がっていましが、コロナ禍もあってか、さほどのにぎわいは感じられません。

コロナの影響で私たち「チーム55」としての打ち上げは見合わせとなりましたが、名残惜しそうにしていたジダンさんと私の2人は明るい時間から開いていた駅前の居酒屋さんに寄って、簡単なつまみをアテにほんの1時間ほどでビールをいただきました。
マラソン大会もなければマラニックの打ち上げまではばかられるなんて、返す返す大変な世の中になったものですが、考えてみれば飲み会の後半なんて多くは惰性で同じような話を繰り返すなどしているわけで、余韻を残して1時間で切り上げる飲み方も悪くないような気がします。でもコロナが収まったあかつきには、心置きなく延々と飲んでしまうのだろうなあ-とも思ってしまいます。

スポンサーサイト



世界遺産古墳巡り4

日中に子ども2人との留守番役を引き受け、久々に子守りをすることになった本日は、2人を連れてバッティングセンターに行った後、ショッピングモールのフードコートでランチをしましたが、夕方には昨日買い込んでいたタマネギや菜っ葉を家庭菜園に植えるなどして師走を前に秋の畑仕事をほぼ終えることができました。

しかしながら、またまた一心不乱に畑の作業を進めていて、写真を撮るどころではありません。
ということで引き続き前の日曜に世界遺産の古市古墳群を走りながら巡ったマラニックの写真掲載を進めます。4回目の本日も9枚。応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳を過ぎ、数珠つなぎに連なる古墳群の中心部分の後半で、墓山古墳や仁賢天皇陵古墳、そして日本武尊(やまとたけるのみこと)の墓とされる白鳥陵古墳に至るまでです。

BL201122古市古墳群4-1IMG_0259 BL201122古市古墳群4-2IMG_0263 BL201122古市古墳群4-3IMG_0266

古市古墳群のほぼ中央に位置する墓山古墳は墳丘の長さが225メートルのかなり大きな古墳。周囲には濠と堤が巡っています。

その北側に近接し、大きな古墳に付属する陪塚(ばいちょう/ばいづか)とみられる野中古墳は一辺37メートルの小さな方墳で、住宅地に囲まれてひっそりとたたずんでいます。
「うらやぶ」と呼ばれ、古墳であるかどうか分からなかったというこの野中古墳は1964年に大阪大学が調査。鉄製の武器や馬具、農具などが大量に出土して一躍脚光を集めたということです。

そして次に立ち寄ったのは墳丘の長さが122メートルの仁賢天皇陵古墳。
この古墳にも濠が巡っていますが、さらにその外側には大きな溜め池が二つ連なっていて、当時「古市大溝」と呼ばれた巨大な運河の一部だったとも言われているそうです。

BL201122古市古墳群4-4IMG_0269 BL201122古市古墳群4-5IMG_0272 BL201122古市古墳群4-6IMG_0279

仁賢天皇陵古墳のお濠ばたには家族連れなどが憩う公園が整備されていて、その近くでは埴輪を焼いた窯の跡も見つかっています。
続いて眺望の良い歩道橋を渡り、ランチ休憩をとった近鉄・古市駅前へと向かう際、古市古墳群中心部の最後に訪れたのが白鳥陵古墳です。

BL201122古市古墳群4-7IMG_0281 BL201122古市古墳群4-8IMG_0283 BL201122古市古墳群4-9IMG_0285

日本武尊の墓とされる白鳥陵古墳は墳丘の長さが200メートルの前方後円墳で、前方部の幅が後円部の直径を上回り、墳丘の高さも前方部の方が3メートルほど高くなっているのが特徴です。地図や空撮写真で見ると、スカートのように見える前方部が風を受けたように両側に広がっているのです。小学校から中学校にかけて古墳や考古学が好きだった私は、この古墳のシャープで精悍な姿にあこがれて、写真に見とれたりノートにそのフォルムを落書きしたりしていたほどです。

調べてみると、日本武尊は伊勢で亡くなった後に白鳥に姿を変え、大和を経てこの古市の地に飛来。天に向かって羽を曳(ひ)くように飛び去ったという白鳥伝説が日本書紀などに記され、それが地元・羽曳野(はびきの)市の由来になっているとのこと。
そういえば、白鳥陵古墳の姿はまさに羽を広げて飛ぶ白鳥のようにも見えてきます。

白鳥陵古墳の濠のわきを通る道には、ここが古道の竹之内街道の一部であることを示すプレートが路面にはめてあります。
竹之内街道は、大陸との交流の入口だった難波(大阪)から百舌鳥古墳群と古市古墳群を結び、「近つ飛鳥」と呼ばれ聖徳太子の墓などがある河南町を経て二上山麓の竹之内峠を越え、古代の都だった奈良盆地南部の飛鳥へと続きます。元は「官道」としてつくられたという街道ですが、今や古市駅前の白鳥交差点から先のほとんどは国道になって昔の面影は残っていません。

世界遺産古墳巡り3

本日は貴重な週末の土曜となりましたが、冬の到来を前に家庭菜園で片付いていなかった2本の畝で残っていた落花生の収穫をしたり堆肥を補充したりして土を整えたうえ、タマネギや菜っ葉類などまだ植えられる苗をホームセンターで買い出してくるなど、ほぼ畑関連の作業をしているうち夕暮れを迎えてしまいました。

というわけで引き続き前の日曜に藤井寺市と羽曳野市にまたがる世界遺産の古市古墳群を巡ったマラニックの写真を掲載します。3回目の本日分も9枚で、いよいよ古墳群内で最大の誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神天皇陵)の登場です。

BL201122古市古墳群3-1IMG_0215 BL201122古市古墳群3-2IMG_0224 BL201122古市古墳群3-3IMG_0217

頂上からはるか大阪市内のノッポビル・あべのハルカスを望むこともできた古室山古墳と、やはり墳丘に登ることのできる隣接の大鳥塚古墳に挟まれ、西名阪自動車道の高架下にあるのは一辺22メートルの小さな方墳、赤面山古墳です。ネットの柵に囲まれたこの古墳は草木に覆われることもなく、一見したところでは工事の残土を積み上げたようにしか思えません。
ただ案内役の新さんの説明を受けて良く見ると、高架の道路の下部は墳丘にぶつからないように緩いアーチを描いてせり上がり、南西側の道路も古墳を避けるように迂回しているのが分かります。

西名阪自動車道が開通したのは私が10歳のときに開かれた大阪万博の前年の1969年。
このころは高度成長に伴う急激な開発で多くの古墳や遺跡が破壊されたり、その危機に遭ったりして、ちょっとした社会問題になっていました。小学校のころから古墳・考古学オタクで百舌鳥古墳群や飛鳥、各地の遺跡発掘現場を巡り、考古学者になることが夢だった私は、そんな状況に心を痛め、確か中学2年の夏休みの自由研究では「埋蔵文化財の保護と開発」をテーマに選んだほどでした。

当時の考古学の成果の多くは、大規模な開発により破壊されることを前提にした発掘調査によって得られ、よほどのことがなければ貴重さが分かった遺跡も調査の後には永遠に姿を消す運命にありました。
中学の担任の先生には「役に立たない昔の遺跡のために開発を止めんでもええやんけ」と言い放たれましたが、そのころの私には、そうした普通の人の感覚を理解することがどうしてもできませんでした。

その後、今度は山歩きが大好きになった私は原生的な自然が残されている各地の深い森を訪ねながら、やはり林道やスキー場で自然が破壊されていくことに心を痛め、地方記者をしていたころは自然・環境の問題が自分の取材テーマの一つとなりました。
一方、古市古墳群と対をなす百舌鳥古墳群で住宅開発計画に対して盛り上がった住民運動により守られた、いたすけ古墳の保護に関わられた考古学の大家・故森浩一先生には、大学の授業でお会いすることになりました。既に考古学への情熱が薄れていた私ですが、国立の大学受験に失敗する前に受けていた母校の私立大で、森先生の名前を知っていたため「文化史学科」を受検先に選んだからです。
といってもゼミを選ぶ際には、より広い知識を得たいと考えて、森先生の考古学ではなく西洋古代史学にしてしまったのですが、その後に初任地の群馬県で「日本のポンペイ」となった黒井峯遺跡の取材に精を出していた際、発掘現場で森先生とバッタリ再会することになりました。

派手に脱線しましたが、道路開発による破壊から免れたこの赤面山古墳の姿を見て、そんな自分の過ぎ去った来し方にも思いを巡らせたというわけです。
大鳥塚古墳はカシ、シイやクヌギなどの雑木に覆わて展望はきかないものの足元にはドングリがたくさん落ちていましたが、ドングリなら自宅の前や近くの雑木林に拾いきれないほどありますので、写真を1枚撮るにとどめました。

BL201122古市古墳群3-4IMG_0228 BL201122古市古墳群3-5IMG_0238 BL201122古市古墳群3-6IMG_0235

BL201122古市古墳群3-7IMG_0241 BL201122古市古墳群3-8IMG_0248 BL201122古市古墳群3-9IMG_0246

古市古墳群で最大規模を誇る、墳丘の長さが425メートルの誉田御廟山古墳は、世界遺産として対をなす百舌鳥古墳群にあって525メートルの最大の前方後円墳・大山古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ大きさです。
ただ、奈良時代の地震で墳丘の一部が崩れたとされ、その盛り上がりは控えめに見えます。また3重の濠に囲まれた大山古墳に対し、こちらの濠は1重で、しかも崩壊部分のある西側では埋もれた濠が畑地などになっています。そのため荘厳な感じには劣りますが、身近な森といった印象です。

この森はまた、後円部にあって応神天皇を祭る誉田八幡宮のご神体にもなっていて、そうしたことからも誉田御廟山古墳の方が地元になじんだ存在になっているような気がしました。

世界遺産古墳巡り2

月に5、6回もの宿直をこなしながら6日間に2日ほどのペースで休日があった定年までの仕事に比べ、ほぼカレンダー通りとなった今の仕事は泊まり勤務による体のダメージが少なくなった一方、平日に休まないまま頑張るペースにまだ慣れません。1週間の途中で息切れしそうになるわけですが、それでも今週は月曜が休日だったおかげで何とか力尽きる前に週末を迎えることができました。
まあ、大阪に戻ってきた7年前までの10年ほどはやはりおおむねカレンダー通りに仕事をしていたわけで、そのころを思い出しても結局のところ人並みの規則正しい生活の方が体は楽なはずで、実際このところは昼間に眠たくて仕方がなくなることがなくなり、やはり60代に突入した私にとっては、この方が合っているのでしょう。

本日も昼休みに少しばかりウオーキングをして写真も撮りましたが、それは撮り置いておくことにして、まずは5日前に駆けっこ仲間と世界遺産の古市古墳群を巡ったマラニックの写真を掲載していきます。
当日の集合写真を紹介した際のタイトルが「世界遺産古墳巡り1」でしたので、本日分はその2となり、最終の5回目まで計48枚を掲載する予定です。

BL201122古市古墳群2-4IMG_0199 BL201122古市古墳群2-2IMG_0192 BL201122古市古墳群2-3IMG_0197

近鉄南大阪線の土師ノ里駅をスタートして、ランチ休憩をした二つ先の古市駅までの間は古市古墳群の主だった古墳の多くがまさに数珠つなぎ状態で密集している地域。私たちはその八割がたを巡り、写真もそのときどきに撮っていますが、古墳の形が一目で分かる空撮をしたわけではありません。そのため網羅的にお見せしても単調になってしまいますので、比較的分かりやすく印象的な風景をつまんで紹介します。

駅前の允恭天皇陵古墳、鍋塚古墳を過ぎて訪れたのは古市古墳群で3番目に大きい墳丘長245メートルの仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳。仲姫命は、この古墳群で最大の誉田御廟山古墳に埋葬されているとされる応神天皇の皇后。世界遺産を構成するもう一つの百舌鳥古墳群にある世界最大の大山古墳の「主」とされる仁徳天皇の母に当たります。
この古墳の墳丘は中世に城郭として利用されたことから本来の姿を大きく失っているとされますが、それでも前方後円墳の台形の角から見ると、その壮大な姿に圧倒されます。

仲姫命陵古墳のわきにある沢田八幡神社は境内のそばを近鉄の線路が通り、参道の途中に踏切が設けられています。

BL201122古市古墳群2-1IMG_0191 BL201122古市古墳群2-5IMG_0202 BL201122古市古墳群2-6IMG_0203

仲姫命古墳のお濠の角に接するもう一つのお社・古室八幡神社の本殿の端の壁には、昭和36年に寄進によって完成した旨を記す石版がはめこまれています。
そして奉納したとされる「松井幸三郎」さんは、なんと今回のマラニックをご夫妻で企画してくれた私の中高の同級生・由佳さんの「おじいちゃん」。確かに地元・藤井寺出身の由佳さんは旧姓が松井さんで、社殿が奉納されたのは彼女が赤ちゃんのときでしたが、ご本人はその事実を今回のコースを下見するまでご存じなかったとのことです。

BL201122古市古墳群2-7IMG_0212 BL201122古市古墳群2-8IMG_0207 BL201122古市古墳群2-9IMG_0209

私たちが次に向かったのは、仲姫命陵古墳と前方部をつき合わせるようにして並ぶ墳丘長150メートルの古室山古墳。
まばらに雑木が生えるだけで草に覆われたこの古墳は、二つの高まりが連なる前方後円墳独特のなだらかな稜線のカーブが手に取るように見えるうえ、古墳としては珍しく、その頂上まで登ることもできます。
古墳の姿に魅せられていた小学校時代の私なら、さぞかし歓喜して長い時間ここにとどまっていただろうと思えます。

古墳の多くは天皇陵や陵墓参考地として宮内庁の管理下に置かれ、一般の人が立ち入ることはおろか発掘などの調査さえ厳しく制限されて、ほとんど行われていないのが現状です。
お墓という性格上、ある程度立ち入りが制限されるのは仕方がないでしょうし、それによって文化財としての価値が保全され、墳丘を覆う豊かな森が維持されているのも事実です。

ただ、実際に天皇や皇族が埋葬されているかどうかも定かでないまま一律に宮内庁が管理していることのマイナス面も指摘されます。つまり、学術的な調査も阻まれることで文化財としての正確な価値を確かめることすらできず、緑多い地域の環境をつくっているとはいえ、多くの人がその自然に触れることを許されないからです。
百舌鳥・古市古墳群が住宅地の中にありながら、そんなふうに多くの古墳が「聖地」として住民らを遠ざけるようにされてきたことが、世界遺産登録に向けた運動や、登録後の古墳群をテコにした地域振興の動きが今一つ盛り上がってこなかったことの背景にあるようにすら思えます。

まあ、古墳をむやみに発掘しまくることが決して正解ではないことは、かつて飛鳥の高松塚古墳の極彩色の壁画が、あっという間にカビまみれになり色あせてしまったことを思い出しても分かりますが、この古室山古墳がこうして住民らの憩いの場になっているのはすばらしいことで、これでこそ多くの人が古墳を身近に感じることができるのだと思います。

秋色の大阪中心街2

平日が4日だけの今週も既に後半に入り、それなりに忙しさが続くなか本日も職場で半ば仕事をしながらお弁当をいただいた後、所要もあって昼休みにほんの20分ほど外を歩きました。その際に撮った大阪中心街でのスナップを先週撮っていた取り置きの写真とともに掲載します。

BL201125大阪市内7IMG_0340 BL201124大阪市内8IMG_0324 BL201118大阪市内9IMG_0120

BL201126大阪市内10IMG_0344 BL201126大阪市内11IMG_0349 BL201126大阪市内12IMG_0342

人が写るとほぼ誰もがマスクをしているという大変な世の中になってしまいましたが、レトロな建物を背景に写真撮影をしていた新婚のお二人はマスクを外して微笑ましい姿でした。大阪のど真ん中を南北に貫く目抜き通りの御堂筋では、黄色に染まったイチョウ並木でイルミネーションの準備が進んでいました。

気が付くと全世界が厄介なコロナウイルスにおびやかされ、戦争中のような状態になりましたが、それでも新しい年が近づいてきます。なんとかこの息苦しいトンネルを抜け出せるようにと願いつつ、人間らしさ自分らしさを保ちながら日々を過ごしていきたいものです。