
黄砂がやや収まった本日も自転車で出勤する際、延々と桜並木が続く大川沿いを走りましたが、出社後は仕事が忙しくなって昼休みもとれず、帰宅もいつもより大幅に遅くなりました。ということで3日前「チーム55」の仲間と大阪南部・和泉市の「信太の森」を小雨の中で散歩した際の写真の続きを掲載します。

この日は当初、陰陽師の祖とされる安倍晴明ゆかりの信太の森から、自衛隊の駐屯地がある丘陵「信太山」方面まで桜を見ながらマラニックをする予定でした。信太山は大阪市からもほど近いハイキングコースでも知られ、私も子どもの頃、お弁当を持って家族で訪れたことがありましたが、今回は残念ながら雨のため再訪することはなりませんでした。
その代わり、JR阪和線の北信太駅で集合した私たちは駅の周辺にある信太の森の名所を幾つか訪ねることになり、まず向かったのは「信太森神社」でした。
歌舞伎や人形浄瑠璃文楽の題材にもなっている「葛の葉伝説」によりますと、安倍晴明の父・保名は病気で里に帰っていた妻の葛の葉の全快と子宝を願っていた際、傷を負った白狐をかくまったところ、そのキツネが妻の姿をして現れ、晴明を授かりました。しかし数年後、その我が子に正体を知られたキツネは次のような歌を一首残して姿を消してしまったということです。
「恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 信太森の うらみ葛の葉」
そのキツネが姿を隠したとされるクスノキの巨木や、葛の葉を祭る小さな祠がある信太森神社は縁結び・復縁の願いをかなえてくれるとされ、境内に吊るされた白狐をあしらう絵馬には別れた相手とよりを戻したいと願う言葉が書かれていました。


信太森神社に一時合祀されていたという「旧府(ふるふ)神社」の境内には、白狐が猟師から逃れるため姿を変えたとされる「白狐化石」と名付けた石が祭られ、これじゃ「かせき」としか読めないなと思って近寄ってみたところ「ばけ石」の字が台座に彫られていました。
伝説にまつわる資料などを展示する和泉市の「信太の森ふるさと館」の前には、保名と晴明が水面に姿が映った葛の葉と最後の別れを惜しんだという「鏡池」がありました。



この日は当初、陰陽師の祖とされる安倍晴明ゆかりの信太の森から、自衛隊の駐屯地がある丘陵「信太山」方面まで桜を見ながらマラニックをする予定でした。信太山は大阪市からもほど近いハイキングコースでも知られ、私も子どもの頃、お弁当を持って家族で訪れたことがありましたが、今回は残念ながら雨のため再訪することはなりませんでした。
その代わり、JR阪和線の北信太駅で集合した私たちは駅の周辺にある信太の森の名所を幾つか訪ねることになり、まず向かったのは「信太森神社」でした。
歌舞伎や人形浄瑠璃文楽の題材にもなっている「葛の葉伝説」によりますと、安倍晴明の父・保名は病気で里に帰っていた妻の葛の葉の全快と子宝を願っていた際、傷を負った白狐をかくまったところ、そのキツネが妻の姿をして現れ、晴明を授かりました。しかし数年後、その我が子に正体を知られたキツネは次のような歌を一首残して姿を消してしまったということです。
「恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 信太森の うらみ葛の葉」
そのキツネが姿を隠したとされるクスノキの巨木や、葛の葉を祭る小さな祠がある信太森神社は縁結び・復縁の願いをかなえてくれるとされ、境内に吊るされた白狐をあしらう絵馬には別れた相手とよりを戻したいと願う言葉が書かれていました。







信太森神社に一時合祀されていたという「旧府(ふるふ)神社」の境内には、白狐が猟師から逃れるため姿を変えたとされる「白狐化石」と名付けた石が祭られ、これじゃ「かせき」としか読めないなと思って近寄ってみたところ「ばけ石」の字が台座に彫られていました。
伝説にまつわる資料などを展示する和泉市の「信太の森ふるさと館」の前には、保名と晴明が水面に姿が映った葛の葉と最後の別れを惜しんだという「鏡池」がありました。
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