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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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ダイナミック・ソウル

友人の結婚式に出席するため韓国に行っていた私は昨日、帰国に先立つ短い時間、毎晩延々と続いた酒盛りで疲れた胃腸と身体を癒すべく、午前中いっぱいをホテルの部屋で過ごしたあと、独りで朝昼兼用の食事を取り、ソウル市内を少しだけ散策してきました。

ホテルはソウル中心街の東部にある弘大前(ホンデアプ)にあって、この地域は最近、新しい空港鉄道の駅ができるなど、都心よりも帰国の足の便が良い場所でした。
そのため、そのまま都心に行かないでおこうとも思ったのですが、都心にある書店をのぞきたかったことからホテルに大きな荷物を預けて、地下鉄で往復することにしました。

そして約4年ぶりに短時間ながら眺めたソウルの都心の風景は、また一新されていて、ダイナミックに変化を続ける「ダイナミック・コリア」の首都「ダイナミック・ソウル」であることを実感させてくれました。

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昨日の記事では、一昨日の夜に一緒に飲んだ友人の泰植さんが、彼がかつて良く来ていた弘大前のジョン(肉や野菜に衣をつけて鉄板で焼いた料理)の店を紹介してくれたことを書きましたが、実は2次会のカラオケを終えて解散した後、私たちは2人だけで「締め」の食事をしていました。

その場所は、私のホテルのすぐそばにある牛肉スープ「ソルロンタン」の専門店(左)。
ジョンの店と同じく、以前から人気の老舗だというこの店のソルロンタンは、大量のマッコリを飲み疲れたお腹にしみわたるような美味しさでした。

「明日の朝も二日酔いだったら、また来ると良いですよ」
昼すぎにホテルを出て、近くで食事をする場所を物色しながら、いまひとつ食べたいものが見つからなかった挙げ句、思い出したのが泰植さんの言葉で、弘大前の若者の街を一回りした私は結局、この店に舞い戻って来ることにしました。

ソルロンタンは牛の肉や骨をじっくりと煮込んだ白っぽく、あっさりしたスープで、塩やコショウを自分で加えて味を調節しながらいただく料理です。
私は前夜この店を訪れた際にはシンプルなソルロンタンを頼みましたが、2度目には朝鮮ニンジンやナツメの入った豪華なものを頼み、大きな蒸し餃子(マンドゥ=饅頭)3つも加えました(右)。

そして韓国料理に「付きもの」のキムチは、ほかの料理店と同じく、もちろん無料で、テーブルの端に並んだ埋め込み式・備え付けの容器に3種類が入っていて、ここから好きなだけ取って食べ放題ですが、最初は店員さんが少しずつをトング(大きなピンセット型の物挟み)で取り出して、ハサミで切りながら皿に盛り付けてくれます(中央)。

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書店に行くついでに訪れたのはソウルの都心にある光化門(カンファムン)広場の付近。
光化門は李氏朝鮮時代の王宮「景福宮(キョンボックン)」の南側にある正門で、光化門広場は、その前から南にのびる大通り「世宗大路(セジョンデロ)」の中心部に3年前、完成した市民の憩いの場です。

私はこのところ、ランナー同士の日韓交流で毎年のように韓国全羅北道(チョルラプクド)のコチャンを訪れているほか、昨年からは古都の慶州(キョンジュ)や済州島(チェジュド)にも足をのばしていましたが、ソウルの都心に足を踏み入れるのは4年近くぶり。前回このあたりを訪れた際には、公園は造成中、光化門も改築中だったため、すっかりきれいになった一帯の眺めには目を見張りました。

光化門広場の南端にあって、背の高い台座の上に立つ彫像は韓国の英雄、李舜臣(イ・スンシン)将軍(左)。
16世紀後半、豊臣秀吉の指令により2度にわたって朝鮮半島に攻め入った日本の軍勢を、亀の甲羅に似た「コブクソン(カメ船)」を使うなどして迎え撃った朝鮮水軍の司令官です。

写真で彫像の左手奥に見える金色の座像は、世宗大路の名前の由来となった15世紀の国王で、ハングル(訓民正音=フンミンジョンウム)を制定した世宗大王(セジョンテワン)がモデル。
その背後に見えるのが改築された光化門。そのさらに左奥に、青い瓦屋根が半分だけ見えるのが「青瓦台(チョンワデ)」と呼ばれる大統領官邸というわけです。

ご存じの方も多いかとは思いますが、私がソウルを初めて訪れた1980年代の後半には、光化門の向こう、景福宮の敷地のど真ん中に、朝鮮半島を植民地支配していた大日本帝国による統治の拠点「朝鮮総督府」の建物を利用した国立中央博物館がありましたが、その後、景福宮の復元工事に伴って取り壊されました。

その工事は、まだまだ継続するということですが、こうして世宗大路から光化門、さらには景福宮までを眺められるようになると、朝鮮総督府が朝鮮民族の誇るソウルの心臓部にくさびを打ち込むようにして造られていたことが良く分かります。

国立中央博物館を見学した当時、その重厚で豪華な建物は、いまだ軍政下にあって、さほど大きなビルが目立たなかったソウルの中では飛び抜けて立派に見えて、取り壊されるのを、もったいなく感じました。
しかし、今や巨大な高層ビルが林立するこの街では、李舜臣将軍の彫像以外は背の高い建造物が何も見えない歴史の香る風致地区の存在は、貴重なものに思えます。

光化門広場の南端からほど近い世宗大路のわきから東にのびて流れているのは、都心の河川の復元工事が世界的に注目を集め、大親水公園としてソウル市民の憩いの場となっている清渓川(チョンゲチョン)です(中央右、右)。
清渓川の流れ出す場所のそばには、巻き貝を思わせる青と赤に彩られたオブジェが立っています(中央左)。

清渓川はかつて、朝鮮戦争による避難民などが暮らすスラム街が川沿いにありましたが、ソウル市当局は、そこにいた人たちを強制的に退去させるため川を覆って暗きょにし、その上に高速道路が建設されました。
しかし、2000年代に入って川の復元を求める声が高まり、当時はソウル市長だった李明博大統領が指揮をとって復元工事を完成させたということです。

私がソウル国際マラソンを走った5年前には、光化門広場が造成される前の世宗大路がスタート地点となり、都心部を巡ったあとには、この清渓川沿いの道を往復しました。
光化門広場が完成して川辺の整備がいっそう進み、街の風景も、とどまることなくダイナミックに変ぼうし続けるソウルの街を、遠からずもう1度走ってみたいという思いが大きくなってきています。
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