
宮古島でトライアスロンならぬデュアスロンに出場、完走した私は昨日、沖縄本島の那覇に渡り、本日は内地に戻ってきました。
本日は、その那覇の市内や郊外にある平和祈念公園で撮った写真を掲載します。

約3年ぶりの那覇では、戦災からの復興のシンボルとなった繁華街の国際通り沿いに宿泊して、昔ながらの市場の雰囲気を残す牧志市場に立ち寄りました。
いつもなら、ここで島ラッキョウや生のウコンなどを買い込むところですが、トライアスロンのウエアや道具などが詰まったバッグが既に満杯だったこともあって、今回はいろんな店をブラブラと見て回るだけにしました。
そんななかで撮った1枚は、まるで熱帯魚のような色鮮やかな魚が並ぶ鮮魚店の店先と、お姉さま(右)。
昨日の夕方は、これまた市内の観光地としては定番である世界文化遺産の首里城も訪ねました。
前に来たときには復元された城の建物は改修中で、今回はその工事がほぼ済んでいましたが、撮った写真はなんだか絵葉書のようなものばかりでしたので、ここでは割愛して、その代わりに高台に建つ城の敷地の端から撮った那覇の町並みと海、そして夕日の写真を掲載します(左)。
今日の午前中に国際通りを歩いた際に撮った写真で掲載するのは、歩道わきに咲いていた南国の花・ハイビスカスです(中央)。

沖縄戦などで亡くなった軍や民間の人、それに海外の人も含む戦没者20万人余りを追悼し、平和を祈るための塔や石碑(「平和の礎=いしじ」)などがある平和祈念公園は、NAHAマラソンのハーフ地点と関門が設けられることから私は何度か訪れていますが、ゴールデンウイークを控えた本日は、園内の樹木の間などに渡したロープに無数のコイノボリがつるされ、その間を修学旅行や課外学習の子どもたちが続々と歩いていました(左)。
戦争末期、多くの民間人らが命を落とした摩文仁の丘の断崖の上に来ると、海も空も真っ青でした(中央)。
宮古島・沖縄に滞在した4泊5日の間、トライアスロンの当日だけが強風と低温という不運な天候だったことが返す返す皮肉なことだと思われました。
駐車場から園内への入り口付近では、地元のオバアが献花のための花束を売られていて、私もここで1束をいただいて、海岸近くにあった平和の礎のメーンの石碑にそなえさせてもらいました(右)。
本日は、その那覇の市内や郊外にある平和祈念公園で撮った写真を掲載します。



約3年ぶりの那覇では、戦災からの復興のシンボルとなった繁華街の国際通り沿いに宿泊して、昔ながらの市場の雰囲気を残す牧志市場に立ち寄りました。
いつもなら、ここで島ラッキョウや生のウコンなどを買い込むところですが、トライアスロンのウエアや道具などが詰まったバッグが既に満杯だったこともあって、今回はいろんな店をブラブラと見て回るだけにしました。
そんななかで撮った1枚は、まるで熱帯魚のような色鮮やかな魚が並ぶ鮮魚店の店先と、お姉さま(右)。
昨日の夕方は、これまた市内の観光地としては定番である世界文化遺産の首里城も訪ねました。
前に来たときには復元された城の建物は改修中で、今回はその工事がほぼ済んでいましたが、撮った写真はなんだか絵葉書のようなものばかりでしたので、ここでは割愛して、その代わりに高台に建つ城の敷地の端から撮った那覇の町並みと海、そして夕日の写真を掲載します(左)。
今日の午前中に国際通りを歩いた際に撮った写真で掲載するのは、歩道わきに咲いていた南国の花・ハイビスカスです(中央)。



沖縄戦などで亡くなった軍や民間の人、それに海外の人も含む戦没者20万人余りを追悼し、平和を祈るための塔や石碑(「平和の礎=いしじ」)などがある平和祈念公園は、NAHAマラソンのハーフ地点と関門が設けられることから私は何度か訪れていますが、ゴールデンウイークを控えた本日は、園内の樹木の間などに渡したロープに無数のコイノボリがつるされ、その間を修学旅行や課外学習の子どもたちが続々と歩いていました(左)。
戦争末期、多くの民間人らが命を落とした摩文仁の丘の断崖の上に来ると、海も空も真っ青でした(中央)。
宮古島・沖縄に滞在した4泊5日の間、トライアスロンの当日だけが強風と低温という不運な天候だったことが返す返す皮肉なことだと思われました。
駐車場から園内への入り口付近では、地元のオバアが献花のための花束を売られていて、私もここで1束をいただいて、海岸近くにあった平和の礎のメーンの石碑にそなえさせてもらいました(右)。
スポンサーサイト

コメント:0
