
本日は昼ごろに近くの成田山不動尊までを往復して軽く走りましたが、掲載するのは泊まり勤務明けの昨日に山を越えて走った帰宅ランで撮った写真の残り9枚です。

大阪府民の森「くろんど園地」からトレイルに入り、尾根筋を通って獅子窟寺への下り道に入ると、道のわきに赤い前掛けをした石仏が次々に現れます。初めのうち何体かにカメラを向けましたが、全部を撮るのは難儀だと思われ、あきらめました。

山の中腹にある獅子窟寺は飛鳥時代に役行者が開いたと伝えられる古刹で、正月三が日の初詣の際だけ公開されるという国宝の薬師如来像は平安初期の作とされています。
鎌倉時代に亀山上皇の命で整備された後は、山中に12院があるという大規模な寺でしたが、江戸時代初期に焼き討ちに遭って再建された時には10分の1ほどになり、現在に至るとのこと。
ここに至る山道は岩場も多く境内には巨岩もあり、修験道の場として開かれたということが納得できます。
寺には以前にも来ていたものの、この先もトレイルが続くと勘違いしていましたが、実際には極めて急で細い車道が麓まで続いていて、境内にはミニバンタイプの住職さんの車が止めてありました。あいさつをした住職さんは「これで通っている」とおっしゃっていましたが、ちょっと信じられないくらいで、対向車が来ればほぼアウトです。まあ、かといってあの坂道を車で入っていこうという人はまずいないとも思われました。

というわけで獅子窟寺からは急な坂道を一気に下り、麓にある神社や古い町並みを抜けて、七夕伝説にまつわる天野川沿いの未舗装の歩道を走り、家路を急ぎました。



大阪府民の森「くろんど園地」からトレイルに入り、尾根筋を通って獅子窟寺への下り道に入ると、道のわきに赤い前掛けをした石仏が次々に現れます。初めのうち何体かにカメラを向けましたが、全部を撮るのは難儀だと思われ、あきらめました。



山の中腹にある獅子窟寺は飛鳥時代に役行者が開いたと伝えられる古刹で、正月三が日の初詣の際だけ公開されるという国宝の薬師如来像は平安初期の作とされています。
鎌倉時代に亀山上皇の命で整備された後は、山中に12院があるという大規模な寺でしたが、江戸時代初期に焼き討ちに遭って再建された時には10分の1ほどになり、現在に至るとのこと。
ここに至る山道は岩場も多く境内には巨岩もあり、修験道の場として開かれたということが納得できます。
寺には以前にも来ていたものの、この先もトレイルが続くと勘違いしていましたが、実際には極めて急で細い車道が麓まで続いていて、境内にはミニバンタイプの住職さんの車が止めてありました。あいさつをした住職さんは「これで通っている」とおっしゃっていましたが、ちょっと信じられないくらいで、対向車が来ればほぼアウトです。まあ、かといってあの坂道を車で入っていこうという人はまずいないとも思われました。



というわけで獅子窟寺からは急な坂道を一気に下り、麓にある神社や古い町並みを抜けて、七夕伝説にまつわる天野川沿いの未舗装の歩道を走り、家路を急ぎました。
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