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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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道路の起点・高麗橋

泊まり勤務明けの本日は、ロードバイクに乗らず京阪電車で通勤する際にお決まりとしている、天満橋駅まで1駅分のウオーキングをして帰宅しました。職場のすぐ裏手にある運河・東横堀川を渡る際、いつもは最短コースとなる今橋を通りますが、本日は1つ下手にあり、職場の住所ともなっている高麗橋を渡りました。

といいますのも先日、淀川流域に絡む大阪の歴史に関する本を読んでいて、この高麗橋が京都と大阪を結んだ京街道の起点とされたという話を知り、何度となく橋を渡りながら見過ごしていた、たもとの石碑などを見てみようと思ったからです。

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そして高麗橋を渡ると、阪神高速道路の高架の陰となる東側のたもとには「里程元標跡」の石碑が立ち、明治時代に「西日本主要道路の距離計算はここを起点に行われた」旨の説明が書かれていました。
さらにその横に置かれた別の石版によると、東横堀川は大坂城築城の際に外濠として改修され、そのころに架けられた高麗橋は江戸時代、大坂に数多くあった橋の中で12本しかない幕府管理の「公儀橋」の中でも格式の高い橋で、既に諸方への距離を測る起点になっていたそうです。

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高麗橋を渡って旧淀川の大川のほとりに出ると、天満橋駅の裏手は水上ボートの乗り場のある岸辺で、江戸時代には海運の要となっていた「八軒家浜(はちけんやはま)」。
ここにはまた、一帯が古代から京都と瀬戸内海を結ぶ開運の拠点「渡辺津(わたなべのつ)」で、世界遺産・熊野古道に続く熊野街道の起点だったことを示す石碑も立っていました。

八軒家浜から見える中之島の突端の噴水が、しぶきのアーチを出している様子と、大川に浮かぶ水陸両用の観光バスの写真は、前回の泊まり勤務明けの6日前に撮ったものです。
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