
朝早くからの勤務の本日は、さすがに自宅からのジョギングをすることができず、かといって日中は雨模様の予報だったことからロードバイクでの通勤も控えましたが、帰りがけに晴れていたため京阪・枚方市駅まで特急に乗り、ほんの5キロ半ほどではありますがジョギングで帰宅しました。
駅からは旧枚方宿の風情のある裏通りを走って、かつての宿屋で今は宿場町の資料を集める「鍵屋資料館」の前を通り、いったん淀川の河川敷、堤防に出たあと再び町中に入って、自宅の最寄り駅の名称にもなっている蓮如上人ゆかりの光善寺にも立ち寄りました。

枚方宿は江戸時代、東海道の延長部分で京都と大坂を結んだ京街道の宿場であり、淀川の水運の拠点としても栄えた場所。
当時の町並みを保存、再現する通りの中にあってシンボル的な存在である鍵屋は当初、宿場町の宿屋だったのが、幕末ごろには「舟待ち宿」となり、さらに料理旅館として知られたということで、外観を見るだけでも立派です。

光善寺は、ほんの近くに住んでいながら自宅とは線路・国道を隔てて反対側の旧市街地の中にあることから普段立ち寄ることはなく、訪ねてみるのは3回目です。
以前に来たときと同じく、 大きな本堂の前には何本ものソテツが植わり、浄土真宗の中興の祖とされ、北陸から近畿に移り住んだ際に、この辺りを布教の拠点にしたという蓮如上人の坐像があります。
そして、以前には通らなかった道をほんの100メートル余り行ったところには蓮如上人が説教をしたと伝えられる「御田地」の大きな石碑が立ち、その奥の木の下には上人が座ったという「腰掛石」もありました。
駅からは旧枚方宿の風情のある裏通りを走って、かつての宿屋で今は宿場町の資料を集める「鍵屋資料館」の前を通り、いったん淀川の河川敷、堤防に出たあと再び町中に入って、自宅の最寄り駅の名称にもなっている蓮如上人ゆかりの光善寺にも立ち寄りました。



枚方宿は江戸時代、東海道の延長部分で京都と大坂を結んだ京街道の宿場であり、淀川の水運の拠点としても栄えた場所。
当時の町並みを保存、再現する通りの中にあってシンボル的な存在である鍵屋は当初、宿場町の宿屋だったのが、幕末ごろには「舟待ち宿」となり、さらに料理旅館として知られたということで、外観を見るだけでも立派です。



光善寺は、ほんの近くに住んでいながら自宅とは線路・国道を隔てて反対側の旧市街地の中にあることから普段立ち寄ることはなく、訪ねてみるのは3回目です。
以前に来たときと同じく、 大きな本堂の前には何本ものソテツが植わり、浄土真宗の中興の祖とされ、北陸から近畿に移り住んだ際に、この辺りを布教の拠点にしたという蓮如上人の坐像があります。
そして、以前には通らなかった道をほんの100メートル余り行ったところには蓮如上人が説教をしたと伝えられる「御田地」の大きな石碑が立ち、その奥の木の下には上人が座ったという「腰掛石」もありました。
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