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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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キリングフィールド

本日は昼すぎから夜までの勤務でしたが昨日に続いてロードバイクで通勤しました。
ところが帰路、真っ暗の淀川河川敷でタイヤが突然パンク。幸い近くの堤防から外へと通じる歩道橋わきに明るい街灯があったため、スペアのチューブを入れて走れるようになり、事なきを得ました。とはいえ、これが出勤時だとすると遅刻の可能性もあったわけで、やはり夜の走行は何が起こるか分からないと思う一方、行きにはいつもより10分は余裕を持って自宅を出るべきだということを再認識することになりました。

掲載する写真は引き続きカンボジア旅行の落穂拾い。本日分としては、2日目のプノンペン市内巡りで最初に訪れた南部チューンアエクの通称「キリングフィールド」。ポル・ポト政権時代の大量虐殺の犠牲者の頭蓋骨を収めた塔など慰霊施設です。

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1975年から4年間のポル・ポト時代に大量虐殺された人々は、数百万人の人口の3分の1とも言われる200万人近くと推定され、こうしたキリングフィールドは各地に残されています。
内戦終結から間もなかった私の特派員時代には、そのほか多くの人がピクニックに訪れていたやはりプノンペン南方のトンレ・バティという池のほとりに放置された頭蓋骨が山積みになっている場所もあって、そこを通る際に靴の下でパリパリと音がしたのを覚えています。

こうした凄惨な負の歴史を物語る場所に、まだ物心のつかない子どもたちを連れて行くことは少しはばかられる思いもしましたが、それでもやはりこんな場所もあったということを記憶の隅に刻んでもらうことは大事なように思いました。
極端な原始的な共産制を敷いて、知識人をはじめ多くの人々を死に追いやった政権の行状は、一部の指導者の狂気が原因のようにも言われますが、その背景にあったのは冷戦時代にアメリカの支援を受けた政権の腐敗であり、アメリカによる激しい空爆でした。

また少し歴史を遡れば、ゆがんだ正義を旗印に戦争に突き進み、民間人を含めて300万人もの犠牲者を出したうえ、さらに他の国の多くの人々の命を奪った帝国主義時代の日本も、今から思うとまさに狂気に包まれていたと言えますが、そんな時代をたたえるような動きが平気で息を吹き返しつつあるのもまた,、まぎれもない現実のことです。
大事なことは、そうした人間の負の歴史に目をそむけず、それを学び知ることができる場所や物に触れて感じることだと思うわけで、せっかくの海外旅行ではありましたが、このチューンアエクとその後訪れたトゥオルスレンの虐殺記念館は日程に組み込まざるを得ませんでした。

とはいえ、30度を超える猛暑の中での屋外施設の訪問は私にとってもそれなりにしんどく、チューンアエクの施設敷地内では、ヤシの実のジュースをいただきました。
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