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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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難波宮跡の芝生広場

週初めからロードバイクに乗っての自転車通勤をした本日は、昼休みにも30分ほどのジョギングをしました。
既に職場の周辺をあちこちジョギングして回った後、本日向かったのは定番の大阪城公園の南側にある難波宮跡公園。公園といってもほぼ全てがだだっ広い芝生広場です。底がペラペラに薄いベアフットのシューズで走るには、舗装道路より不整地の方が楽で、特に芝生は気持ちが良いことから久々に足を向けました。

BL210208難波宮跡1IMG_1986 BL210208難波宮跡2IMG_1992 BL210208難波宮跡3IMG_1981

7世紀・飛鳥時代の大化の改新の後と、8世紀の奈良時代半ばに2度にわたり都が築かれ、「副都」の一つだったこともある難波宮は、豊臣秀吉が大坂城を築いた頃と並んで大阪が日本の中心だった時期の象徴と言える場所です。
ただ、鉄筋コンクリートとはいえ天守閣が造られ、立派な石垣も残る中に観光施設も整備された大阪城公園に比べると、難波宮跡にはわずかに大極殿の基盤部分などを示すコンクリートの段が造られているぐらいで、その他には見事に何もありません。

そういえば飛鳥に近い藤原宮跡や福岡の大宰府政庁跡といった史跡もこんな感じで、古代の建物が復元された奈良・平城京跡の方が珍しいのかもしれません。
とはいえ、大阪のど真ん中にありながら、公園としての整備すら不十分で雨が降ると水たまりだらけになる空き地のような難波宮跡は、なんだか忘れられた都会の真空地帯のようで、かわいそうになるほどです。

振り返ると、文献には記されているものの長らく所在が分からなかった難波宮がこの地にあることを突き止めたのは、戦後復興期から高度成長期にかけて地道な発掘調査をした山根徳太郎氏ら地元の考古学者グループ。そのおかげで開発にストップがかかり、大阪城との間に通った高速道路も、地下の遺構を保存するために遺跡部分だけ高架とはならなかったとのことですが、結局のところその後も、多くの人がここに広大な遺跡公園があることを知らないままのようです。

調べてみると、規制が緩い一部エリアでの利用計画の募集などもされているようですが、整備が進むのはまだまだ先の様子。
せめてジョギングコースや花壇をつくるなど公園としての利用を促す手だてもあるように思いますが、まあこんな場所が残されるのも悪くないのかもしれません。
広大な公園の端の方に1本だけぽつんと立って花をつけていた梅を見つけてカメラを向けましたが、なんだか寂しげに感じました。
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