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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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まだ知らない大阪城

本日も自転車通勤をした上、昼休みには曇り空の下で大阪城をジョギングすることができました。
大阪城では、いつもとは反対の左回りで公園内に入り、南外濠の外側を周って天守閣前を通過。続いて北外濠の外側を通るという、少し長めの約6キロを走りました。
そうして普段と違うコースを走ってみると、何度も目にしていながら、あまり気にとめていなかった名所が良く見えて、つい近寄ったり中に入ったりして写真も撮ることになりました。広大な大阪城には、まだ知らない場所が残っていたことを実感しました。

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南外濠の外側、大阪城公園の南西角近くにあったのは「教育塔」。
よく見ると慰霊塔のような格好をしていますが、それもそのはず。調べてみると、1934年に関西を襲った室戸台風で多くの木造校舎が倒壊するなどして亡くなった教職員25人や600人以上の子どもたちを追悼しようと、全国の教育関係者から集まった寄付により36年に完成。その後、85年の日航ジャンボ機墜落事故や95年の阪神淡路大震災、それに2011年の東日本大震災の犠牲者らも順次、合葬されたということです。

そして天守閣の南側、外濠と内濠の間にある「豊国(ほうこく)神社」は、護国神社のたぐいかと勘違いして1、2度ほど境内に入っただけでしたが、実は豊臣秀吉らを祭る神社で、確かに立派な秀吉の銅像が立っていました。
この神社は元は明治時代に2キロ余り離れた中之島の中央公会堂付近に建てられましたが、大正時代に入り大阪府立図書館の東隣りに公会堂が建てられることになって図書館の西側に移り、さらに私が生まれた翌年の1961年、大阪市役所の増築に伴って大阪城へと移転。戦時中の金属類回収令により撤去された秀吉像は2007年になって復元されたということでした。
秀吉像は、300メートルほど離れた天守閣を眺めるような格好で立っています。以前にも紹介した通り、今の天守閣は、秀吉の大坂城を再現すべく昭和初期に建てられましたが、それを囲む二重の濠を含めた城の敷地は、秀吉の大坂城を埋め立てて徳川が築いたものです。

この豊国神社は、足軽から天下人へとのぼりつめた秀吉にあやかってか開運のご利益があるとされていて、本殿の大きな絵馬にも「開運」「出世」の文字が大書してありました。写真を撮る合間にカメラを片手に持ちながら、おざなりに手を合わせましたが、既にさほど出世することもなく定年を過ぎてしまった私としては、むしろこうして健康な毎日を過ごし続けることを願いたいと思いました。

北濠の外側、公園の北西部に残る旧陸軍・砲兵工廠跡の建物は、レンガ造りの姿を何度も柵越しに見ていましたが、いつもとは反対側から前を通りかかると、建物の側面にはツタがびっしりと茂っていました。
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