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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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奥三河の「花祭り」を満喫2

現在は10日午後なのですが、8日から9日にかけて愛知県の東部・奥三河で行われた民俗芸能「花祭り」のレポートの2回目を、ようやく9日分の記事としてアップします。

といいましても、8日分の1回目がまだ写真のみなのと同じく、今回もとりあえず写真のみのアップです。
夜通しの祭りを、ほぼ貫徹で観賞したことから、本日の日中はほぼ昼寝に費やし「時差ぼけ」を解消していたためです。

そして、ようやく記事を書き始める現在は14日の未明となりました。既に花祭りを見終えてから5日目になりますが、夜を徹して聞き続けた囃子のかけ声は頭の中に響き渡り続けています。

「テーホヘ トホヘ テホトヘ トホヘ」
日中、仕事の合間などに、つい口ずさんでいる自分が、ちょっと怖いぐらい。
この調子なら、次回に花祭りに行く機会があれば、かけ声をかけ、舞い手をやじる「セイト衆」が務まるような気さえしてきます。
(実際のかけ声は動画ニュースをご覧ください。http://www.47news.jp/movie/general_topics/post_2005/)

かつて仙台に勤務していたころ、青森の「ねぶた」に2度出かける機会に恵まれ、2回目には、会社の出先の同僚たちと一緒に衣装を着けて「はねた」ことが楽しい思い出になっています。
ねぶたのかけ声は「ラッセラー ラッセラー ラセラセ ラッセラー」という感じで、花祭りとは異なります。

しかし花祭りは、観客が全員ではないものの、ねぶたのように祭りに「参加」できるところは、少し似ています。
そして何より双方が共通しているのは、祭りのカーニバル的な盛り上がりが、北国や山間地の厳しい日常と鮮やかなコントラストを描いているようだということです。
つまり、1年間にわたって厳しい生活を続け、それに耐えてため込んだパワーが「ハレ」の祭りの日に一気に爆発するような感じがするわけです。

もちろん今の青森は都会で、奥三河と比較するのは語弊があるかもしれません。
でも、かつて聞いて「なるほど」とうなったのは、高校生たちが男女ともねぶたの期間中だけ門限がなくなって夜通し遊んでも許されるという話でした。

とにかく年中遊び回り、「お祭りマラソン」も度々走る私には、ハレの日のありがたさを実感する素地が欠けているように思えることだけは確かです。
脱線は、このあたりにして、写真の説明などを加えることにしましょう。

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花祭りのシンボルになっているのは「鬼」ですが、最初の鬼が舞庭(まいど)にようやく登場するのは夜も更け「丑三つ時」のころになってからです。
メーンの鬼は「山(見)鬼」「榊鬼」「茂吉鬼(朝鬼)」の3種類が時間をおいて登場しますが、メーンの鬼が登場するのに先立って子分である下っ端の「伴鬼(ともおに)」が現れて前座の舞いを披露します。

伴鬼は赤い鬼と緑の鬼が1組になっていて(左、右)、いずれも木でつくったまさかりを振り回しますが、舞い手が着ける面の表情のせいか、中に入っているらしいのが若者だからか、弱々しい感じで、仕草も滑稽です。
セイト衆からやじられるばかりか一緒になって舞いもして、その様子は「ディスコ」(「クラブ」ではなく)のような雰囲気をかもします。

神聖な舞庭の四方には、しめ縄が張られ、縄には半紙の切り絵がいくつも下がって飾られています(中央)。
小刀一本でつくられるというこの切り絵は「ざぜち」と呼ばれる神具で、何種類ものデザインがあって、写真は太陽と月をモチーフにしたもののようです。
ざぜちのすき間から見える五色の紙でつくられた天蓋状の飾りは、お湯を沸かす竈(かま=かまど)の真上にあるためか「ゆぶた」と呼ばれるやはり神具で、神々の宿る場所とされているということです。

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伴鬼に続いて、いよいよメーンの鬼の一番手である山鬼が登場します(写真)。
それまでの神事や舞の数々は、会場に備わる蛍光灯の下で行われてきましたが、山鬼の登場に当たっては照明がしぼられ、代わりに年長の女の子たちが手にした松明に火がともされて、それが鬼を照らす明かりとなります。
おどろおどろしい雰囲気を演出するためということです。

山鬼は、山を割って生命の再生を図り、「生まれ清まり」の役割を担っているとされ、大きなまさかりを舞庭の床に突き立てては、見えを切るようなポーズを何度もきめたあと、竃に片足をかけてまさかりを繰り返し振り下ろすしぐさを見せます。
花祭りの原型といわれる江戸時代の「大神楽」では、この鬼は浄土入りを目指す人を導いて白山(=浄土)を割り開くとされていたということです。

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山鬼の登場に続き、また幾つかの舞が披露され、明け方になると、2番目の鬼で最も位が高く重要とされる「榊鬼」が舞庭に現れることになります。
しかし、それに先立ち緑と赤の伴鬼がまた前座として登場し(中央)、真打ちは、もったいをつけて、なかなか出てきません。

伴鬼の面を良く見ると、角は生えているものの、それ以外はどう見ても鬼というよりは天狗の様子。
さまざまな信仰や芸能、伝承などをミックスして形作られた花祭りの「ごった煮」的な性格が、こんなところにも見てとれます。

伴鬼が舞っている間、座敷のかぶりつき部分で、「天保12年(1841年)」の年号銘が刻まれた太鼓を叩いていたのは、下粟代地区で花祭り保存会の会長を務められている金田新也さん(左)。
実は、これに先立って山鬼の面をかぶり、威風堂々とした鬼の所作を見事に演じたのが金田さんです。

花祭りのシンボルともいえる榊鬼は、「生まれ清まり」を実現するための呪法を行い、大地に新しい生命力を吹き込む重要な鬼とされ、この鬼の面は山鬼よりもさらに大きく、長さが50センチほどもあります。
私は、この鬼が登場している間は、ほぼ映像の撮影に集中していて、ポケットからカメラを取り出し撮影した写真はほんの2、3枚。
たまたま鬼が下を向いたところが迫力がありましたので、この写真を採用しました(右)。

榊鬼は登場して竃の回りで儀式を終えると「改め役」の人間と問答を交わし、歳比べや榊の枝の引き合いをしますが、これらはいずれも人間の方に軍配が上がります。
人が住む以前に住んでいた山の主である鬼から、人間が山の豊穣を分けてもらうという考えを現す筋立てということですが、その一方で、祭りそのものは山の神々に奉納するようなものですから、ちょっと突拍子もないストーリーのようにも思えます。

いずれにせよ人間に負かされてからの鬼は、しゅんとした感じになって、それを表現する舞い手の演技力は、なかなかのものでした。
会場を訪れていたあるアマチュアカメラマンが「鬼の面はアングルが変わると表情が違って見えるところが、おもしろい」と話していた通り、下を向いた榊鬼の表情は、どこか悲しげに見えるから不思議です。

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榊鬼がひっこんで、夜がすっかり明けたころに演じられるのは「おかめ」や「ひょっとこ」が舞いなどを披露する「おちりひゃら」という演目(左)。

おかめやひょっとこは舞っている際は扇や鈴を手に持っていますが、その前後には、竃の上に置いた巨大な「御幣もち」や味噌の付いた「すりこぎ」を持って舞庭の座敷や、会場の屋外を走り回ります。
そして御幣もちの米粒や味噌を観客らの顔面に次々になすり付けていくのですが、米粒や味噌を、ほっぺたなどに付けられることは、縁起の良いことだとされています。

その後も様々な舞いが続き、若者たちも再び登場。
観客が少なくなったなか、金田さんやセイト衆たちは、いつまでも囃子の掛け声をかけ続け、うたをうたい続けます(中央)。

写真で舞っているイケメンの若者2人のうち、左側の舞い手は、実は金田さんの息子さん。
堂々とした息子さんの舞いを、金田さんは、たのもしそうな眼差しで見守っていました。
過疎高齢化の波を受けるなか、伝統の祭りがこうして受け継がれているのは実にすばらしいことで、こうした地域や家族のきずなが、しっかり保たれていることは、うらやましくも感じるところです。

セイト衆たちがうたう長いうたの文句を墨書した紙は、舞庭の壁の高いところに掲げられていて、この文句をちらちらと見ながらうたう人たちもいました(右)。

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花祭りの2日目も昼ごろになって行われる祭りのクライマックスは「湯ばやし」。
舞い手の少年らが、再び薪をくべて湯がわかされる竃の前で舞ったあと、両手に持つワラをたばねてつくったタワシを湯に浸して、その湯を観客らに向かって、ところかまわず振りかけます(左)。
この湯は、生まれ清まった人の産湯と考えられて、これを浴びれば無病息災で、健康に過ごすことができるとされています。

私は、おちりひゃらの米粒や味噌は顔に塗ってもらいそびれましたが、湯ばやしでは、専用のレインコートを着せたビデオカメラや、防水使用のコンパクトカメラを向けて果敢に撮影に挑んだおかげで、湯はたっぷりと浴びることができました。これで、ほんとうに生まれ清まることができれば、ありがたいのですが。

花祭りはさらに夕方近くまで続いたもようですが、私たちは湯ばやしを見たところで、会場を後にしました。
昼すぎのころにはバスはなく、東栄町の役場近くにある温泉まで、ほぼ徹夜した体にいま一度むちを打って、山あいの道を約2時間かけて歩いて下りました。

途中に通ったトンネルの入口にはレリーフの鬼が描かれ(中央)、役場前には巨大な鬼の像がポーズをとっていて(右)、東栄町が「花祭りの町」「鬼の町」として町おこしを図っていることが分かります。

一昼夜にわたった花祭りは、異次元の宇宙に迷い込んだような体験で、その記憶は夢のようでもあります。
しかし竈の煙でいぶされて、洗濯して何日もたってもとれない服の焦げ臭さをかぐたび「テーホヘ トホヘ」のかけ声が、再び頭の中でぐるぐると渦巻きます。

約23時間をかけて140キロを走った一昨年の「萩往還ウルトラマラニック」と、良い勝負をするぐらいにどっと疲れた花祭りの見学・取材で、再び東栄町を訪れようという気にはしばらくなれそうにありません。
しかし一方で、この頭の中をめぐるかけ声に、再び呼び返されそうな気も、少なからずしています。
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