昨日の記事でも話した通り私は、トレランの練習で山道を丸1日かけて走り・歩いたMさんら4人の一行が、国道に出る1キロほど手前で道に迷ったという廃屋のある集落跡を訪問し、さらに一行が突っ込んで行った道のない急斜面に、実際に足を踏み入れてみました。その体験を中心につづってみるのが今回の内容です。
かつて高畑と呼ばれた集落跡には今も人が住めそうなほど立派な廃屋が2軒建ち残り、国道からはバイクで来ることもできそうなほど明瞭な道がついています。
数週間前、一行が踏んだルートの後半をたどってみた私も、やはり同様に現場を訪ねた別の仲間も、そして地元の救助関係者らも「なぜ、あそこで道に迷ったのか分からない」と口をそろえるほどです。
しかし実際には、地形についての誤った「思い込み」と、地形を読める地図を持っていなかったことなどから、一行は道が分からなくなり、山城のように、そそり立つ台地の上にある集落跡から谷に向かって断崖のような急斜面を下りて行きました。
これもまた「なぜ、あんな所を下りて行こうとしたのか分からない」と地元関係者らが驚くような決断でした。
「4人全員が理性的な判断をできなくなっていたのでしょう。だからこそ事故が起きたのです」
そのような警察幹部の言葉によってでしか、説明がつかないように思えるほどの出来事だったのです。
それでも、その運命の「分岐点」について検証を試みた昨日の記事に続き、今回は「猟師ぐらいしか下りようと思わない」とまで言われた「急斜面」に足を踏み入れてみた体験記というわけです。
3軒目の家屋が建っていたと思われる岬のような「広場」の突端から、Mさんら一行は樹林の海に突っ込んだものと思われます。
そんな決断を後押ししたのが、急斜面に誘い込むようにして木の幹に巻かれたピンクのテープだったことは、昨日も話した通りです。
とはいえ3本目のテープが巻かれていた場所は、ちょうど斜面が一気に急になるあたりで、そこに近寄ることすら容易ではありませんでした(左、テープは左上に小さく見えています)。
上からのぞき込んだ写真では斜面の傾斜は分かりづらいのですが、そのあたりで斜面を真横から見て撮ったのが右の写真です。これはカメラに内蔵された電子水準器を使い実際の傾きが分かるように撮影していて、45度に近い急な傾斜を見てとれます。
私はこのあたりで先に進むべきか引き返すべきか、しばらく逡巡しているうち急にお腹の減りを覚えました。
また下りていくにしても、木などにしがみつきながらでないと不可能だと分かり、軍手やアームウオーマーが必要だということが分かりました。
しかし、ここでは休むこともできず、バックパックから物を取り出すことも不可能だったため、いったん広場まで戻り、持ってきたおにぎりを2つ食べて腹ごしらえし、完全防備したうえで再びトライすることにしました。
この樹林は手入れの行き届いていない杉の植林地で、地面は落ち葉や枯れ枝、間伐をされたらしい倒れた木などで覆われてはいるものの、低木のヤブは発達していないことから、つかまる物が少なく、下降は思いのほか困難です。
落ち葉の下にある浮き石を踏むと、ガラガラと音をたてて遠くまで落ちていくほどの傾斜ですから、一瞬でも気を抜くことはできません。
低木のヤブがあれば枝につかまって下りることができ、滑落の危険も減りますし、岩場ならば安定した足場やつかむ場所を探しながらロッククライミングのように「3点支持」で下りることができるかもしれません。
ところが、こうした「つかみどころ」のない急斜面の樹林は最も危険で、できるだけ安定した足場を探しつつ、しかも万が一滑っても途中で木にぶつかるなどして止まれるかどうか見極めながら下りることになるわけで、時間もかかるものです。
それでも、斜面が急であるため、気が付くと相当な高度差を下りていることが分かり、振り返ると垂直の壁のように見上げる急斜面が立ちはだかっていて、登り返せるような気がしないほどです(中央)。
一行は急斜面を下り始めて間もなく「ここは道じゃないな」と気づいたということですが、長い行程を経て疲れ切っていたうえ、どんどん暗くなっていく中にあって、こんな斜面を見上げたとすれば引き返そうという気持ちが砕かれたのも分かるような気がしました。
そんな急斜面ですが、私が実際に下りていき、一行の4人中3人までは谷までたどり着いているわけですから全く下りることができないわけではありません。
そもそも、斜面の上の方は植林地でもあって、山仕事の人たちが足を運んでいるのも事実です。
しかし、山仕事の人たちは危険なところではヘルメットをかぶって、ロープなどの装備も持っているでしょうし、履いている地下足袋はトレラン用のシューズよりずっと踏ん張りがきくものです。
私もかつて独りで沢登りをする際には地下足袋にワラジを着け、ヘルメットもかぶったうえ、いざというときに安全に斜面を下りられるよう20メートルほどのロープを持っていました。
そんなふうに考えると、丸腰でこんな急斜面に踏み込んでいる自分が、うかつに思えてきました。
それでもできることは、とにかく安全に下りられて、かつ登り返すこともできるルートを慎重に見極め、注意深く進むことしかありません。
その結果、私は一行が下りていったと思われる斜面が最も急な部分を避けて、わずかに尾根状に膨らんだ部分をたどり、一行のルートから離れていったようです。
「川が見えたので、下りて行けば国道まで川沿いにたどり着くか、向かい側の林道まで登れると思った」
私は一行のメンバーのそんな証言を聞いていたため「せめて川が見えるところまでは行ってみよう」と思っていたのですが、同じところを下りていかないのでは検証の意味がないようにも思います。
それでも現実的には、斜面の最も急な部分には近づくことがはばかられ「どこでも良いから川が見えるところまで行こう」と、目標をすりかえることにしていたのです。
そうして、ようやく谷底に流れる後山川の川面が見えたのは、集落跡から下り始めて1時間近く経ってから(中央、画面の中央より少し上に白く見えるのが川面)。
標高差にして、わずか150メートルほどを下るのに、それほどの時間を費やしたということです。
それに比べMさんたちが道に迷ってから滑落事故が起きるまでの時間は、なんと30分足らずとみられます。
「廃屋から下りる道が分からなくなった」という一行ですが、すぐ見つかるはずだった本来の道を時間をかけて探すこともしなければ、途中ですら滑落の危険があった急斜面を相当に危なっかしいスピードで下りて行ったものとみられます。周囲が暗くなっていく中で、それほどまでに焦っていたということなのでしょうか。
それにしても1歩ずつ慎重に下りなければ危険なはずの急斜面で、一行4人のうちMさんを含む2人が先の2人から50メートル以上も引き離されてしまったというのは、にわかに信じ難く思われます。
※※※
私が木々のこずえ越しに川面を見ることができたころに、周囲の樹林は、植林地から雑木林に変わっていましたが、林床に低木のヤブが発達していない状況は同じで、依然として気が抜けないままでした。
それでも私は谷底までほんの50メートルほどのところまで下っていき、そこでとうとう100%安全なルートがとれないことが分かって途方に暮れました。
そこを下りたとしても、滑落事故の現場からは300メートル以上も上流のようですし、「ゴー」と勢い良く水が流れる音を聞くと、滑落現場までたどり着くことはおろか、対岸にわたれるかどうかも分かりません。
しかも足を滑らせれば、一気に谷底まで落ちることはないように見えるもののケガをする可能性はあります。
さめて考えれば引き返すべきだと分かっていましたが、それでも頭の中に誘惑の声が聞こえてきます。
「谷底までは、ほんの数分で下りられる。そこで動けなければ、登り返せば良いだけではないか」
「現場までも簡単に行けるかもしれない。そうすれば対岸に渡って林道に出る方が、ずっと楽じゃないか」
それはまさに、私自身もまた、誘惑に負けて理性を失おうとした瞬間でした。
人間というものは窮地に立たされたとき、目先にある楽な選択肢に、簡単に飛びつこうとしてしまう弱い存在だということを理解できるように思った瞬間でもありました。
「道に迷ったら引き返す」「谷には下らないようにする」といった、山の鉄則が分かっている登山者であっても、自ら迷い道にはまりこみ、滑落などの悲劇に遭うということがある理由は、こうした人間の弱さも大きな部分を占めるのでしょう。
それでも私は結局のところ臆病で、かつ無理をして進む必要がなければ引き返す時間の余裕もあったため、100%安全ではないと悟った地点できびすを返しました。
見上げる壁のような斜面は威圧的で、登り返す気持ちをなえさせましたが、すぐそこに見えた谷底に背中を向けた瞬間、大きな安堵感に包まれて、ほっとするとともに我に返る感じがしました。
そして「なんで、あんな無茶をしかけたのだろうか」と、少しでも躊躇していた自分が、おかしく思えました。
※※※
ともあれ私は、やっとの思いで下りてきた急斜面を登り返すことにしました。
植林地の林床は色彩が乏しい中で、切り株から生えたコケの黄緑色が目立って見えました(左)。
この森は明らかに人の気配よりも獣の臭いの方が強く、シカのものと思われる、ひづめの足跡が地面の上にうっすらとついているのを見かけましたが、前の方の足跡は下の方にスリップしていました(右)。
獣でさえも足を滑らせるほどの急斜面ということなのでしょう。
急斜面を再び登り切るのに要した時間は、下りより短かったものの、それでも50分ほど。
全く無事に生還したと言いたいところですが、実は不安定な斜面の途中でハチの襲撃を受けました。
そのとき、左足の靴下の上、靴下より薄手のゲーター(脚半)式サポーターの中で突然、身体中に響くような激しい痛みを感じて目を向けると、大きなハチが黄色と黒の身体を丸めて針を差し込んでいました。
あわててはたき落としたものの、ハチは浮かび上がって何度も私の顔をめがけて突進してきます。
足を滑らせそうになりながら、やっとハチを追い払ったものの、その際に右手を自分の身体にぶつけたのか木にぶつけたのか、薬指をひどく突き指してしまいました。
野生の生きものたちの領域に、無闇に足を踏み入れないようにと、戒められたような気もしました。
ようやく集落跡の広場に戻ると、薄暗かった樹林の中とはうって変わって視界が開け、もう1つの別世界から現実の世界に戻ってきたような感じがして、ほっとすることができました。
広場の一角には、なぜか根元が踏まれたように折れて横倒しになったユリの仲間の株がありましたが、そのピンクの花は枯れずに咲いていました(左)。
下山する際、ふもとのバス停を示す道標近くの林の中では、黄色いマルダケブキが咲いていました(中央)。
また、登山口の近くではツユクサの花が、その名の通り花びらに透明な露を付けていました(右)。
そう、登山道にも、ふもとの丹波山の里にも、何事もなかったかのように、のどかな空気が流れています。