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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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津波の爪あと

気仙沼大島で開かれたランニング大会で走る前後に撮影した、大震災の大津波による爪あとの様子を掲載することにします。

大震災の爪あとを今さら紹介することそのものには、あまり意味がないようにも思いますが、復興を支援しようと企画された「気仙沼大島ランフェスタ」が、どんな状況の中で行われたのかが分かる写真を、走りながら撮った写真の掲載に先立って少しばかり紹介することは、前置きとして必要なようにも考えたからです。

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名古屋から東海道、東北の各新幹線と在来線を乗り継いで到着したJRの気仙沼駅は、海岸から2キロほど内陸部に入ったところにあり、駅を降り立っても大震災の名残は見えません。
しかし、気仙沼大島に渡る大島汽船の乗り場、エースポートが近づくと、津波で損壊した建物や、建物を撤去した後の空き地が目立つようになってきます。

港の岸壁に近い市街地で、ぽつりと残されていた洋館風の建物は、2階か3階建ての上の階だけが残されて地面に落ちたもののように見えました(左)。

エースポート前にある3階建ての観光物産センターのビルは損壊したまま放置されて、廃きょの状態(右)。
この建物は2階部分までが津波で海水につかったということで、写真の右上に角の部分だけが見える標示で、当時の水位が示してありました。

岸壁にある桟橋は、その幾つもが入り口の部分で折れて、海に突っ込んだままになっていました(中央)。

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気仙沼大島の展望台に当たる亀山の山頂から気仙沼湾越しに陸地の方を眺めると、津波で最も大きな被害を受けた岬状の埋め立て地を中心に、空襲を受けたような様子が、被災して以来、あまり変わっていないことが分かります(右)。

この一帯には気仙沼の基幹産業である漁業の関連施設が集まっていましたが、そのほとんどが壊滅状態になり、地震で地盤沈下も起きて排水ができていない地域もあることなどから、復興は手が付いていないもようです。

亀山から気仙沼大島の港などを眺めた写真は、一昨日の記事でも紹介していますが、さらにサイズを変えた2カットを掲載します。

「緑の真珠」と呼ばれる島の南半分を広く撮したものと(中央)、ランフェスタで走った周回コースを中心にしてアップめで撮したものです(左)。
写真の手前左側にある海岸、田中浜の近くには、分別された震災がれきが幾つも山積みになっています。

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私は亀山へと続く道路の入り口付近の高台にある施設に宿泊しましたが、ランフェスタ当日の早朝、宿泊者向けに「震災の様子も説明しながら海岸などを歩く散歩会」があるというので、参加しました。
当初は、震災の爪あとも見ながら、景勝地を歩くものだと思い込んでいましたが、実際には震災の爪あとや、がれきの山を見に行くことが主眼のミニツアーで、これはこれで、ありがたい経験になりました。

散歩会の案内をしてくれたのは、宿泊施設に勤めるイケメンのスタッフ。
震災の当時、勤務中だった彼は、自宅が港の近くにあったため津波の警報を受けて急いで帰宅し、家にいた祖母を避難させましたが、家は水につかって壊され、今も仮設住宅に住んでられるということです。
1カ月にわたった断水と停電の時期を振り返って、思い出すのは「星がきれいだったこと」と話す彼が、津波による被害について淡々と説明してくれると、かえって実際にもたらされた被害の甚大さが浮かび上がってくるように感じました。

宿泊施設から海岸に降り立つ手前の斜面や木のこずえには、今なおビニールなどのゴミが散乱したり引っかかったりしていて、津波の際に海面が大幅に上昇した様子が想像できます(右)。
いまだに、がれきの山が片付かず、仮設住宅暮らしの島民も大勢いる状態とあっては、島のあちこちに散乱したままのゴミの片付けまでは、なかなか手が回らないものと思われます。

海岸に降り立ったところにある大きなあずまやのような野外活動用の施設は、屋根の骨組みなどが派手に壊れたままで、使用できない状態(中央)。
この施設は完成して間もなく津波に襲われたということで、壁や柱など、壊れずに残っている部分が真新しいままであるところが、もったいない感じがしました。

エメラルド色の海に面した田中浜は、風光明媚な景勝地だったと思われますが、今は海岸近くが、がれきの集積場になっていて、廃車、たたみ、木材、コンクリート、金属などに分別されたがれきの山が、幾つも並んでいます(左)。

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廃車の山の中には、トラクターや民宿の送迎用バスの錆びた車体も見えました(左)。

コンクリートの山の前には、立てた鉄パイプに3色の旗が付けてあり、「勝った方がいい」「負けない方がいい」などと、復興を目指す住民らの気持ちを鼓舞するような言葉が書かれていました(中央)。

木材もまた分別されて、積み上げられていましたが、すべてボロボロで再利用はできそうにありません(右)。
全国各地で、処理のための受け入れをめぐって物議を醸しているのは、こうした木材の「がれき」です。
輸送するに当たっての手間や燃料費を考えると、がれきの処理は、それぞれの地元で進めるのが理想的なのでしょうが、三陸海岸に沿った幾つもの地域で膨大な量のがれきが復興を妨げているとすれば、この国の全体で考えて最もスムーズな方法で処理を進めるしかないのだと思います。

そもそも原発事故の起きた福島から遠く離れた宮城県北部や岩手県の震災がれきに含まれる放射性物質の量は問題になるようなレベルではないことなど明らかです。
それでも、九州など原発から遠い地域の人たちほど、がれき受け入れに対して強いアレルギーを持ってられるようで、そうした自分中心的な意識は、ある意味で極めて人間的なものだとも思いますが、全国的なスローガンとして大合唱されている「絆」といった言葉とは裏腹で、被災地が復興していくうえでのハードルは、まだまだ高いように思えます。
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